マカゼタマハの世界
わたくし真風玉葉(マカゼタマハ)のオリジナル小説を掲載していきます。 左のカテゴリより作品を選んでお読みください。
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作品投稿
短編「世界のしくみ」を掲載しました。
原稿用紙40ページほどの長さです。
全五部構成になっていますので、左のカテゴリーより選んでお読みくださいませ♪
原稿用紙40ページほどの長さです。
全五部構成になっていますので、左のカテゴリーより選んでお読みくださいませ♪
世界のしくみ(5)
翌朝。カナコは学校を休み、パパと一緒に会社直行のバスに乗り、コンピューター会社へ向かった。
入り口で何重もの厳重なチェックの後、大きなビルの中へと入っていくと、社内でも特別な者しか乗れない専用のエレベーターにて上層階へと向かった。
もう一度厳重なチェックを行い、分厚い扉の中へ入っていくと、そこは会社というよりは何かの研究施設のようだった。背広を着たサラリーマンではなく、白衣の科学者風の人たちでいっぱいだったからだ。見ればいつの間にかパパも背広の上に白衣を羽織っている。
「カナコ。本当はねここは関係者以外は入れないのだけれど、今日は特別だ。色々お前に聞かなくてはいけないことがあるし、お前はちょっとこの世界に馴染めない体質みたいだから、それを改善しないとね。なになに、心配はいらないよ。痛くないから。まあ、そうはいっても帰る頃にはここでの記憶は無くなっているけれどね」
口調はいつのもやさしいパパのものだったが、なぜか言葉のひとつひとつが怖かった。
不意に研究室内の様子が慌しくなった。全台の内線電話が鳴り響き、所員全員走り回っている。
ひとりの所員がパパのところにやってきて耳打ちする。
「くそっ、こんな大事な時に」
いつものパパと違う、どす黒い声だった。
「カナコ。お前はちょっとここで待っていなさい。パパは急用が出来たからちょっと席を外すから。ここから動くんじゃないよ」
パパは所員と一緒にどこかへ行ってしまった。研究室内に取り残されたカナコはどうしていいか分からず、とりあえずそばのイスに座った。
「カナコ」
「わ」
不意に声をかけられてカナコはイスから落っこちそうになった。
「わたしよイクミよ。仲間も一緒にいるわ」
「びっくりさせないで」
「今大騒ぎになってるでしょ? 組織の人間がこのビルに総攻撃をかけてるの」
「そうなの? 何も見えないから分からないわ」
「コンピューターへ攻撃する班と、直接ビルに乗り込んで制圧する班に分かれているわ」
「じゃあパパは」
「カナコのパパはどうやらこの会社のえらいさんみたいね。うまい具合にどっかに行ってくれて助かるわ」
「そうなの」
カナコは少しパパに対して罪悪感を覚えた。この騒ぎはまるで自分が引き起こしたことのように感じていたからだ。
けれど、世界の真実のためであるのならば、これは避けられないことではないだろうか? いつかは誰かが行動を起こして、真実に向けて動いていたに違いない。それがたまたま自分が引き金だったに過ぎないのではないか。そうでも思わないと、カナコは不安で仕方がないのだった。
「カナコ。コンピュータールームに行くわよ。マザーコンピューターを破壊するの」
「分かったわ」
カナコは慌てふためく研究所員を尻目に、イクミたちの案内で所内を突っ切る。
ビル全体が緊急事態になっているためか、この場所に不釣合いな女の子がいても誰一人気に留めるものもなく、カナコはいともたやすくコンピュータールームに来ることが出来た。
部屋一杯を埋め尽くす大型コンピューターたちが整然と並び、床には極太のケーブルが足の踏み場もないほど伸びている。コンピューターたちが出す熱で、部屋はとても暑い。そして熱を逃がす換気扇の音が非常にやかましい。この劣悪な環境に並べられた大きな箱たちの中に、偽りの世界のデータたちが管理されているのだという。
コンピュータールームを通り抜け、その先の小部屋こそ、このマザーコンピューターに直接指令をだす端末が設置されていた。
組織の人の説明によれば、この偽りの世界を破壊するにはパスワードがかけてあり、真実の世界と偽りの世界の両方から同時にコンピューターをダウンさせる指示を出さないと命令が実行されないらしい。
「その命令文は。"カナコ"よ」
「え? わたしの名前?」
端末のキーボードにパスワードを入力しようとしたカナコは、一瞬手が止まった。
「待つんだカナコ!」
振り向くとコンピュータールームにパパがいた。
「この世界を壊してはいけない。それだけはやってはならない」
やさしいパパの表情は全く消えうせ、そこには鬼のような形相の男が立っていた。
「待ちなさい金山君」
組織のえらいさんである貫禄のある男の声が聞こえた。腹に響くような低音の特徴的な声だ。
「その声は平泉部長」
パパはうなるように言った。
カナコは目を見張った。パパにも声が聞こえるのだ。
「やはりあなたでしたか。平泉部長が組織のものに手ほどきをしたのですね。そうでなければコンピューターの防壁や、このビルの警備を破れるはずがない。半年前にあなたが失踪し、組織の活動が活発になったころから、会社はずっとあなたを疑っていた。しかし、わたしはあなたを信じていた。わたしはあなたに師事してこの会社で働いていたから」
パパはじっと目をつむり、昔を思い出すような顔をした。
「真実の代わりの代替世界を作り上げた時、デリートのコードをカナコにしようと決めたのもあなたでしたね。当時生まれたばかりだったカナコの誕生記念にと、あなたが選んでくれたものでした」
「金山君。わたしはもう世の中に対してうそをつきつづけるのに疲れたのだよ。どんなに困難でも、真実を受け入れてくれる人がいるのなら、その人たちに委ねたいと思ってわたしはこの組織に全てを話した」
「しかしこの世界を作る時に中心メンバーだったあなたは、言ったではないですか? 世界が破滅に向かう苦しみを味わうくらいならば、いっそのこと安楽死させてやりたいと。楽しく苦しみのない世界で死を迎えるならば本望だと、その理念でこれまでずっとやってきたではないですか。それなのに……」
「それは古い人間のおごりだったのだよ。新しい人はそれを望んではいなかった。こちらにいる組織の人間はみんな若い人たちばかりだ。彼ら全員わたしたちが作った意識操作が全く効かなかった人たちだよ。それがどういうことか分かるかね? 彼らはわたしたちが用意したゆりかごを拒否したということだ。彼らはいつまでも赤ん坊ではない。新しい人たちが真実の世界で生きてゆく決意をしたのならば、古い人間はその道をゆずるべきだと気がついたのだよ。たとえそれがいばらの道でもね。その第一歩となる偽りの世界の破壊を、カナコさんにやってもらうのはとても運命的なものだと思わないかね。カナコさんはまさに生まれながらに選ばれた人だったのだよ」
「しかし、それはごく少数の人間の話です。新しい人間といえど、今の世界に馴染んでいる人たちが圧倒的多数です。そんな彼らをたたき起こすようなことなどわたしにはできません」
「その圧倒的多数の人間は、各国機関が作る情報局に意識操作され、世の中になんの疑問を抱くことなく、己にふりかかった災難を知ることなく朽ちていくのだぞ?」
「意識操作するからこそ、彼らは何一つ苦しみを味わうことなく生きていけるのです。そして意識操作したことにより、従順になった彼らは犯罪というものをまったく犯しません。素晴らしいことじゃないですか? 人類は悪を排し、完全なる善になれたのです!」
「その情報局がやっていることは悪ではない、と言い切れるのかね?」
「大事なのは結果です。方法は問題ではありません」
「それは人類を統率する神にでもなった気分かね?」
いつ終わるとも知れない議論にカナコが割って入った。
「パパ!」
カナコの金切り声に驚いたパパはカナコを振り返った。
「わたしは真実が知りたい。それだけだよ。どんなに楽しくてもそれがうそならわたしは要らない。どんなに苦しくてもそれが真実なら受け入れる。それだけだよ」
「やめなさいカナコ。お前は真実の世界がどんなものか知らないからそんなことが言えるんだ。待ちなさい、待て、やめろ、やめてくれ!」
カナコがパスワードを入力すると、世界に亀裂が入った。
見えている光景にくもの巣のような細かいひびが入り、どんどん広がっていく。やがてひび同士がずれて、軋むような動きを見せたかと思うと、世界がくだけた。
バラバラの世界の破片がダイヤモンドダストのようにキラキラと光りながら、ゆっくりと舞い落ちてきた。全ての破片が地面にたたきつけられ、さらに散り散りに細かく砕け、キラキラと光る砂のように広がった。世界の破片たちはその場にとどまることなく、すぐに地面に吸い込まれていき、あっという間に消え去った。
あとに残ったのは、薄暗い空と、荒廃した地面と、顔色の悪い人々だった。大気汚染と環境汚染は深刻なまでにこの地球を汚し、人体にも深刻な悪影響を及ぼしていた。
壮麗な装飾を施された会社ビルは消えうせ、打ちっぱなしのコンクリートの寒々しい殺風景な部屋に、カナコを始め十数人が集まっている。広々した部屋には大きな鉄の箱が並んでいるが、どれもが沈黙しており、かつての桃源郷を映し出していた時の面影はない。
化石燃料の枯渇、食糧難、水不足、異常気象、伝染病……その他多くの困難が降りかかっていた。
十五年前、世界が現状を維持できなくなり、破滅に向かっていると分かった時、人類は自らの寿命を縮めた。残された希望を独り占めしたいがために、人は核兵器でもって外国を消し去ったのだ。
当初誰もその行為に疑問を持たなかったが、世界の半分以上の国が消失し、人口が十分の一にまで減って、ようやくこのままでは自滅してしまうと気づいた。
しかし気づくには遅すぎたようだ。人類はもはや修復不可能な傷を負ってしまい、滅亡の一途をたどるしかなかった。
そして同じ破滅するのであればなるべく苦しまずに破滅する方を選んだ人類は、偽りの世界を作り上げた……。
「もうおしまいだ」
カナコのパパがその場に倒れこんだ。
「築き上げた世界で人類は苦しむことなく死ねたのに、またあの苦しみを味わわなくてはいけないのか。ああ、もうおしまいだ」
求めていた真実を手に入れたカナコは、正直言うと当惑していた。
まさかこんな苦しみに満ちた世界が待ち受けているとは思ってもみなかったからだ。パパの言うことも分からなくもない。きっとママなら、こんな世界で生きていくくらいなら、まだ偽りの世界で安楽死したいと言いたいに違いない。
果たして、自分には偽りの世界を壊す資格があったのだろうか? そんな疑問も浮かんでくる。
けれど、どんなに楽しくてもうその世界なんていらない。どんなに苦しくてもそれが本物ならば受け入れる。それがカナコのうそ偽りのない気持ちだった。
「違うわパパ。今から始まるのよ。人はこの荒廃した地球で、新しい世界を作り上げるの。偽りの世界じゃなくて、ちゃんと痛みのある世界を。コンピューターなんかにご飯を作って届けてもらうんじゃなくって、自分の手でご飯を作るのよ。それがどんなにまずくたって」
真実の世界で活動していた組織の人々の中には、来るべき時に向けて、自給自足が出来るようにちょっとずつ畑を開墾していた。やせた土地を少しずつ。今はとても世界中の人の空腹を満たすことは出来ないけれど、みんなが力を合わせればやれないはずはない。カナコはそう信じていた。
入り口で何重もの厳重なチェックの後、大きなビルの中へと入っていくと、社内でも特別な者しか乗れない専用のエレベーターにて上層階へと向かった。
もう一度厳重なチェックを行い、分厚い扉の中へ入っていくと、そこは会社というよりは何かの研究施設のようだった。背広を着たサラリーマンではなく、白衣の科学者風の人たちでいっぱいだったからだ。見ればいつの間にかパパも背広の上に白衣を羽織っている。
「カナコ。本当はねここは関係者以外は入れないのだけれど、今日は特別だ。色々お前に聞かなくてはいけないことがあるし、お前はちょっとこの世界に馴染めない体質みたいだから、それを改善しないとね。なになに、心配はいらないよ。痛くないから。まあ、そうはいっても帰る頃にはここでの記憶は無くなっているけれどね」
口調はいつのもやさしいパパのものだったが、なぜか言葉のひとつひとつが怖かった。
不意に研究室内の様子が慌しくなった。全台の内線電話が鳴り響き、所員全員走り回っている。
ひとりの所員がパパのところにやってきて耳打ちする。
「くそっ、こんな大事な時に」
いつものパパと違う、どす黒い声だった。
「カナコ。お前はちょっとここで待っていなさい。パパは急用が出来たからちょっと席を外すから。ここから動くんじゃないよ」
パパは所員と一緒にどこかへ行ってしまった。研究室内に取り残されたカナコはどうしていいか分からず、とりあえずそばのイスに座った。
「カナコ」
「わ」
不意に声をかけられてカナコはイスから落っこちそうになった。
「わたしよイクミよ。仲間も一緒にいるわ」
「びっくりさせないで」
「今大騒ぎになってるでしょ? 組織の人間がこのビルに総攻撃をかけてるの」
「そうなの? 何も見えないから分からないわ」
「コンピューターへ攻撃する班と、直接ビルに乗り込んで制圧する班に分かれているわ」
「じゃあパパは」
「カナコのパパはどうやらこの会社のえらいさんみたいね。うまい具合にどっかに行ってくれて助かるわ」
「そうなの」
カナコは少しパパに対して罪悪感を覚えた。この騒ぎはまるで自分が引き起こしたことのように感じていたからだ。
けれど、世界の真実のためであるのならば、これは避けられないことではないだろうか? いつかは誰かが行動を起こして、真実に向けて動いていたに違いない。それがたまたま自分が引き金だったに過ぎないのではないか。そうでも思わないと、カナコは不安で仕方がないのだった。
「カナコ。コンピュータールームに行くわよ。マザーコンピューターを破壊するの」
「分かったわ」
カナコは慌てふためく研究所員を尻目に、イクミたちの案内で所内を突っ切る。
ビル全体が緊急事態になっているためか、この場所に不釣合いな女の子がいても誰一人気に留めるものもなく、カナコはいともたやすくコンピュータールームに来ることが出来た。
部屋一杯を埋め尽くす大型コンピューターたちが整然と並び、床には極太のケーブルが足の踏み場もないほど伸びている。コンピューターたちが出す熱で、部屋はとても暑い。そして熱を逃がす換気扇の音が非常にやかましい。この劣悪な環境に並べられた大きな箱たちの中に、偽りの世界のデータたちが管理されているのだという。
コンピュータールームを通り抜け、その先の小部屋こそ、このマザーコンピューターに直接指令をだす端末が設置されていた。
組織の人の説明によれば、この偽りの世界を破壊するにはパスワードがかけてあり、真実の世界と偽りの世界の両方から同時にコンピューターをダウンさせる指示を出さないと命令が実行されないらしい。
「その命令文は。"カナコ"よ」
「え? わたしの名前?」
端末のキーボードにパスワードを入力しようとしたカナコは、一瞬手が止まった。
「待つんだカナコ!」
振り向くとコンピュータールームにパパがいた。
「この世界を壊してはいけない。それだけはやってはならない」
やさしいパパの表情は全く消えうせ、そこには鬼のような形相の男が立っていた。
「待ちなさい金山君」
組織のえらいさんである貫禄のある男の声が聞こえた。腹に響くような低音の特徴的な声だ。
「その声は平泉部長」
パパはうなるように言った。
カナコは目を見張った。パパにも声が聞こえるのだ。
「やはりあなたでしたか。平泉部長が組織のものに手ほどきをしたのですね。そうでなければコンピューターの防壁や、このビルの警備を破れるはずがない。半年前にあなたが失踪し、組織の活動が活発になったころから、会社はずっとあなたを疑っていた。しかし、わたしはあなたを信じていた。わたしはあなたに師事してこの会社で働いていたから」
パパはじっと目をつむり、昔を思い出すような顔をした。
「真実の代わりの代替世界を作り上げた時、デリートのコードをカナコにしようと決めたのもあなたでしたね。当時生まれたばかりだったカナコの誕生記念にと、あなたが選んでくれたものでした」
「金山君。わたしはもう世の中に対してうそをつきつづけるのに疲れたのだよ。どんなに困難でも、真実を受け入れてくれる人がいるのなら、その人たちに委ねたいと思ってわたしはこの組織に全てを話した」
「しかしこの世界を作る時に中心メンバーだったあなたは、言ったではないですか? 世界が破滅に向かう苦しみを味わうくらいならば、いっそのこと安楽死させてやりたいと。楽しく苦しみのない世界で死を迎えるならば本望だと、その理念でこれまでずっとやってきたではないですか。それなのに……」
「それは古い人間のおごりだったのだよ。新しい人はそれを望んではいなかった。こちらにいる組織の人間はみんな若い人たちばかりだ。彼ら全員わたしたちが作った意識操作が全く効かなかった人たちだよ。それがどういうことか分かるかね? 彼らはわたしたちが用意したゆりかごを拒否したということだ。彼らはいつまでも赤ん坊ではない。新しい人たちが真実の世界で生きてゆく決意をしたのならば、古い人間はその道をゆずるべきだと気がついたのだよ。たとえそれがいばらの道でもね。その第一歩となる偽りの世界の破壊を、カナコさんにやってもらうのはとても運命的なものだと思わないかね。カナコさんはまさに生まれながらに選ばれた人だったのだよ」
「しかし、それはごく少数の人間の話です。新しい人間といえど、今の世界に馴染んでいる人たちが圧倒的多数です。そんな彼らをたたき起こすようなことなどわたしにはできません」
「その圧倒的多数の人間は、各国機関が作る情報局に意識操作され、世の中になんの疑問を抱くことなく、己にふりかかった災難を知ることなく朽ちていくのだぞ?」
「意識操作するからこそ、彼らは何一つ苦しみを味わうことなく生きていけるのです。そして意識操作したことにより、従順になった彼らは犯罪というものをまったく犯しません。素晴らしいことじゃないですか? 人類は悪を排し、完全なる善になれたのです!」
「その情報局がやっていることは悪ではない、と言い切れるのかね?」
「大事なのは結果です。方法は問題ではありません」
「それは人類を統率する神にでもなった気分かね?」
いつ終わるとも知れない議論にカナコが割って入った。
「パパ!」
カナコの金切り声に驚いたパパはカナコを振り返った。
「わたしは真実が知りたい。それだけだよ。どんなに楽しくてもそれがうそならわたしは要らない。どんなに苦しくてもそれが真実なら受け入れる。それだけだよ」
「やめなさいカナコ。お前は真実の世界がどんなものか知らないからそんなことが言えるんだ。待ちなさい、待て、やめろ、やめてくれ!」
カナコがパスワードを入力すると、世界に亀裂が入った。
見えている光景にくもの巣のような細かいひびが入り、どんどん広がっていく。やがてひび同士がずれて、軋むような動きを見せたかと思うと、世界がくだけた。
バラバラの世界の破片がダイヤモンドダストのようにキラキラと光りながら、ゆっくりと舞い落ちてきた。全ての破片が地面にたたきつけられ、さらに散り散りに細かく砕け、キラキラと光る砂のように広がった。世界の破片たちはその場にとどまることなく、すぐに地面に吸い込まれていき、あっという間に消え去った。
あとに残ったのは、薄暗い空と、荒廃した地面と、顔色の悪い人々だった。大気汚染と環境汚染は深刻なまでにこの地球を汚し、人体にも深刻な悪影響を及ぼしていた。
壮麗な装飾を施された会社ビルは消えうせ、打ちっぱなしのコンクリートの寒々しい殺風景な部屋に、カナコを始め十数人が集まっている。広々した部屋には大きな鉄の箱が並んでいるが、どれもが沈黙しており、かつての桃源郷を映し出していた時の面影はない。
化石燃料の枯渇、食糧難、水不足、異常気象、伝染病……その他多くの困難が降りかかっていた。
十五年前、世界が現状を維持できなくなり、破滅に向かっていると分かった時、人類は自らの寿命を縮めた。残された希望を独り占めしたいがために、人は核兵器でもって外国を消し去ったのだ。
当初誰もその行為に疑問を持たなかったが、世界の半分以上の国が消失し、人口が十分の一にまで減って、ようやくこのままでは自滅してしまうと気づいた。
しかし気づくには遅すぎたようだ。人類はもはや修復不可能な傷を負ってしまい、滅亡の一途をたどるしかなかった。
そして同じ破滅するのであればなるべく苦しまずに破滅する方を選んだ人類は、偽りの世界を作り上げた……。
「もうおしまいだ」
カナコのパパがその場に倒れこんだ。
「築き上げた世界で人類は苦しむことなく死ねたのに、またあの苦しみを味わわなくてはいけないのか。ああ、もうおしまいだ」
求めていた真実を手に入れたカナコは、正直言うと当惑していた。
まさかこんな苦しみに満ちた世界が待ち受けているとは思ってもみなかったからだ。パパの言うことも分からなくもない。きっとママなら、こんな世界で生きていくくらいなら、まだ偽りの世界で安楽死したいと言いたいに違いない。
果たして、自分には偽りの世界を壊す資格があったのだろうか? そんな疑問も浮かんでくる。
けれど、どんなに楽しくてもうその世界なんていらない。どんなに苦しくてもそれが本物ならば受け入れる。それがカナコのうそ偽りのない気持ちだった。
「違うわパパ。今から始まるのよ。人はこの荒廃した地球で、新しい世界を作り上げるの。偽りの世界じゃなくて、ちゃんと痛みのある世界を。コンピューターなんかにご飯を作って届けてもらうんじゃなくって、自分の手でご飯を作るのよ。それがどんなにまずくたって」
真実の世界で活動していた組織の人々の中には、来るべき時に向けて、自給自足が出来るようにちょっとずつ畑を開墾していた。やせた土地を少しずつ。今はとても世界中の人の空腹を満たすことは出来ないけれど、みんなが力を合わせればやれないはずはない。カナコはそう信じていた。
世界のしくみ(4)
カナコは自分の部屋でベッドに横たわり、自分を落ち着かせようとしていた。
ママにイクミやキョウコのことを話しても、ちっとも信じてもらえず話にならなかった。そもそも、ママもイクミやキョウコのことを知らないというのだから、問題外だった。
それよりも、いきなり実在しないクラスメイトのことを話しだす娘の心配をされてしまった。
熱があるのではないかとか、ノイローゼではないかとか、いらない心配をされては困るので、夕食後カナコは自分の部屋にこもることにした。そして今日あった出来事を整理しようとするのだが、ちっとも考えがまとまらないのだった。
家の前をバスが通り過ぎた。そして玄関の方で音がする。どうやらパパが帰ってきたらしい。ずいぶん遅い帰宅だ。
カナコは急にベッドから飛び起きた。
「パパに聞いてみよう」
カナコがリビングに駆け込むと、パパはまだネクタイも締めたままソファでくつろいでいた。ずいぶん疲れたような顔をしている。
「パパ、ちょっと話があるの」
「お、おいなんだい急に。またおねだりかい?」
カナコの真剣な表情に、パパは押され気味になった。
「カナコ急に変なこと言い出すんですよ」
キッチンでパパの夕食を温めているママが横から声を入れた。
「あのね、わたしのクラスで行方不明の子がふたりもいるの」
カナコがいきなり本題を切り出すと、パパの表情が変わった。
「それなのに、誰もそのことを気にしていない……ううん、行方不明になった子のことを知らない、なんて言うの。そう、まるでその子なんて最初からいなかった、みたいな。これってどういうこと?」
「それはカナコの夢ですよ。最近変な夢を見るって言ってるでしょ? その夢と現実がごちゃごちゃになってるんですよ」
ママが温めた夕飯をテーブルに並べ始めた。
「ママは黙ってて」
カナコがママを制すると、ママはまあとでも言いたげな顔をした。
「カナコ、いなくなったクラスメイトの名前はちゃんと覚えているかい? それと周りの人たちは、いなくなった子のことを本当に知らない、って言ってるんだね?」
「もちろん覚えているわ。イクミの机はちゃんと教室にあるもの。いなくなる前の日、どんなお話をしたかも覚えてる。キョウコは目の前でいなくなったわ。黒い穴の中に入っていった。でもクラスのみんなはなぜか知らないっていうの。イクミやキョウコのママでさえよ?」
パパはカナコの話を食い入るように聞いていた。
「カナコ、今ねそのことが問題になってるんだ」
「やっぱり!」
カナコはやっと自分の言ってることが通じる相手が見つかって、胸を締め付けるような苦しみからやっと解放された気分になった。
胸のつっかえが取れたカナコは急にここ最近感じている、自分と世間とのズレを語り始めた。誰にも相談できずに自分の中だけで苦しんでいたことをやっと話せる相手を見つけて、今ここで言っておかないとどうしても気がすまないのだった。
日々のニュースへの不信感や、世間と自分とのギャップをせきを切ったように語り始めた。
「パパの会社では今、行方不明者の捜索や、カナコのように社会と自分のズレを感じている人を調査するためのチームが結成されているんだよ。実を言うとパパはそこの室長を任されていてね、今日は色々忙しくてこんなに遅くなってしまったんだよ。カナコ詳しい話を聞きたいから、明日パパの会社に来てくれないかな。今日はもう遅いから、あしたゆっくり聞かせてくれないか。パパ今日はクタクタでね。そうだな……明日学校は休みなさい。パパが学校に言っておくから」
「え、パパの会社に? うんいいけど、学校終わってからじゃ駄目なの?」
「あ、いや色々と調査を……、いやちょっとでも早いほうがいいと思ってね。それにこれはとても大事なことなんだ」
「そうなの? うん分かった」
世界で自分ひとりだけだと思っていた孤独感から解放され、カナコはほっと安堵の息をつくことができた。
けれど疑問もひとつあった。
「でも……パパの会社ってコンピューターのお仕事なんでしょ? どうしてそこでいなくなった人のことを調べているの?」
「そ……それはね、パパの会社は実はいろいろなことをやっていてね。まあ、その、なんだ。警察では出来ないようなことを手がけているって言うのかな」
「ふうん、そうなの」
パパの歯切れの悪い返事に、カナコは首をかしげながらも納得して、そのままおやすみなさいと告げると自分の部屋に戻った。
カナコは夢にうなされていた。ここ数日いつもカナコを悩ませる誰かにささやきかけられる変な夢だ。
自分に何かを語りかける何者かの声は相変わらず何を言っているのか聞き取れない。あと少しで、聞き取れそうなのになぜか聞き取れない。なんとももどかしい。
そういえば、とカナコはこの声をどこかで聞いたような気がした。そうだ、昼間キョウコと一緒に公園に自分たちを導いた声だ。じゃあ、キョウコもこれと同じ声を聞いていたということなのだろうか?
カナコは目を覚ました。まだ辺りは真っ暗だ。
どうしてこんな夜中に目が覚めたのだろうと、時計を見ると一時だった。再び眠りにつくため布団をかぶる。
「カナコ」
思いがけず、暗がりから呼びかけられて、カナコは思わず呼吸を止めた。じっと部屋の中の気配をうかがう。
「カナコ。起きて」
カナコを呼ぶ声にどこか聞き覚えがあった。この声は確か。
「イクミ!?」
カナコは飛び起きた。電気をつけて、友人の姿を探したがどこにもなかった。空耳だったろうか?
「カナコ」
「え!?」
カナコは声のした方を振り返ったが、誰もいない。声はするのに姿は見えなかった。
「イクミなの? どこにいるの?」
「わたしはここにいるわ。ただ姿が見えないだけ」
声はするのに姿は見えない。カナコは友人の聞き覚えのある声に懐かしさを覚えながらも、どこかゾッとするものも感じていた。
「どういうこと? 姿が見えないって??」
「簡単に言えば、今わたしはカナコの目の前にいるけれど、カナコが見えていないだけなのよ」
その言葉にカナコは自分の前の方を手で探ってみたが、なにも手ごたえはなかった。
「どこにいるの? イクミ? というよりあなた生きているの?」
「大丈夫、生きてるよ。ただ、カナコがわたしを認識できていないだけなのよ。今カナコの手がわたしの顔をなでているけれど、あなたはなにも感じないでしょう?」
「わからないわ。でもどうして?」
「それは今カナコがそういう世界にいるからよ。わたしの声だけは、あなたは感じることが出来るけれど、それが精一杯。わたしの姿や感触までは感じることが出来ないわ」
「イクミにはわたしは見えているの?」
「もちろんよ。カナコの姿はよく見えているわ。今わたしはそういう世界……真実の世界にいるからよ」
「真実? それどういうこと」
「それは、カナコが偽りの世界にいるということよ」
偽り、と聞いてカナコは今立っている地面がぐらぐらと揺れるような錯覚を起こした。普通に何気なく過ごしている、この世界が偽り? 声だけの友人はいとも簡単に言ってのけた。
「偽りって、何が偽りなの?」
「全てよ」
カナコは気が遠くなりそうだった。今、カナコが見ているこの世界全てが偽りだというのか?
「カナコの住んでいる世界の人全て、意識操作されて真実を見えなくさせられているのよ」
「うそ」
「うそじゃないわ。本当の世界を隠して、作られた偽りの世界の中でカナコたちはいつまでもだまされ続けているのよ」
「どうしてそんなことする必要があるの? わたしたちをだまして何か得でもあるの?」
「得はないわ。ただ真実を隠しているだけ。本当の世界は、あなたが住んでいるような世界とは全く違うわ」
イクミはひと呼吸おいた。なにから話すべきか考えをまとめているかのようだ。
「カナコは、今地球上の人口がどれくらいいるか知ってる?」
「え? 百億くらいだっけ?」
確か社会の授業でそう聞いたような気がする。
「不正解。実際は十億にも満たないわ。それから毎日ニュース見てる? あれ見てなにか変だと思わなかった? ニュースの中には欧米諸国のものも含まれていたと思うけど、今欧米には人なんて住んでいないわ。あそこは核戦争でもう誰も住むことが出来なくなっているの。今人間が住める地域はアジアからインドにかけてのみよ。あとは戦争やテロ、環境汚染や自然災害で人が住めるような場所ではなくなったの。でも、それらの地域のニュースが毎日のように流れているでしょ? それは、今から何十年も昔のニュースを使いまわしているのよ。他のニュースもそう。全てうそのニュースよ。本当に起きた事件や出来事はほとんどが伏せられているの」
「わたしはニュースを見て、どこか違和感を覚えていたの。どこか他人事みたいというか。でもそれは自分とは遠い世界の出来事だからだと思っていたの。でも実際はそうじゃなかったってこと?」
「そのとおりよ。それはカナコに意識操作が完全には効いていなかったからよ。意識操作はテレビを通じて行われているの。人々がテレビを見ることで、そこに流れていることがらを鵜呑みにして信じてしまう。テレビの電波には、映像を映す役割ともうひとつ、人間の脳に幻覚を見せる役割もあるってわけ。だから、今カナコが見ている世界は、まさにテレビを見ているのと同じように、作り物の世界を見せられているの。それら全てをコンピューターが一括管理しているの。人類をだます一大ペテンの空想の世界を作り上げてね。ご飯がその代表格かしら? ご飯そのものはみんなが食べているけど、ホントはかなり粗末なものを食べさせられているわ。でも見た目や味を意識操作で変えて、いかにも豪華に仕立ててあるの」
今自分が見ているもの全てが作り物だと知ってカナコは恐ろしくなった。さっき食べた夕食もにせものだったとは。一体何を食べさせられていたのだろうか?
「でもね、カナコは完全には意識操作させられてはいないわ。だってまずわたしの声が聞こえるもの。普通に意識操作されている人なら、声も聞こえないわ。この世界に違和感を持ったりすることもなければ、居心地の悪さも感じないはず。意識操作されていれば、この世界に対して何の疑問も持たずおとなしく、犯罪を犯すこともなく従順な人間に仕立て上げられるわ」
イクミの言葉を聞いて、すぐさまママの顔が思い浮かんだ。あの人はまったくこの世界に対して疑いも何も持っていないだろう。
「イクミはどうだったの?」
「わたしも違和感を覚えていたひとりよ。カナコは以前のわたしをおぼえている? 姿を消す前のわたしはどこか変じゃなかった?」
そう言われてカナコはイクミが姿を消す前、世の中についての矛盾を言い続けていたような気がする。それはまさに今の自分と重なった。
「わたしやカナコみたいに、意識操作があまり効かない人が世の中には大勢いるの。わたしたちは、そういう人にメッセージを送り続けて、気がついてくれた人を仲間に引き入れているのよ」
「わたしたち?」
「そう。世界の真実を暴くために結成されている組織よ。この偽りの世界を壊して、人間本来の世界を取り戻すために活動しているの。とはいってもわたしもつい四日前に加わった新米だけどね。でも、昼間はキョウコを仲間に加えたし、今こうしてカナコともコンタクトを取れた。なかなか上出来じゃない? 実を言うとここ三日くらいずっとカナコの枕元に立って、声をかけ続けていたのよ」
どうやら毎晩見ていた夢は、夢なんかじゃなくて、イクミが必死にメッセージを送っていたものだったようだ。
「キョウコはイクミが連れて行ったのね。じゃあ今キョウコは真実の世界にいるの?」
「そうよ。今カナコがいる偽りの世界は全てコンピューターが管理している世界なの。だから、そこに不正アクセスしてわたしやキョウコのデータを抹消するの。そうすると、偽りの世界から存在がまったくなくなってしまうの。不思議でしょ。コンピューターが認知していない存在は、カナコたち偽りの世界の住人も認知できないの」
「ああ、それで……」
イクミやキョウコの存在がまるで最初からなかったかのような世間の反応が少し分かったような気がした。
「ねえ、イクミ。わたしもその組織に加わりたい。偽りの世界なんかじゃなくて、本当の世界が見たい」
「そう言うだろうと思ってた。ちゃんとあなたを加える準備は出来ているわ。でも……。少しあなたにやってもらいたいことがあるの」
「わたしに?」
「そう。組織の上の人が言うには、カナコじゃないと出来ないことらしいの。詳しいことは分からないけど、あなたのお父さんの勤めている会社が鍵らしいのよ」
「パパの……?」
「カナコのお父さんの勤めている会社はね、表向きはコンピューター会社となっているけれど、本当は偽りの世界を管理している情報局なの。全国民を意識操作するコンピューターを運営したり、偽りの世界に異常がないか保守を行ったり、意識操作が効かない人をチェックしているの。そしてわたしたちの組織も監視しているわ」
「そう……なの……。ね、ねえもしかして今このまわりにその組織の人がいるの?」
「いるわよ。十人くらい、組織のえらい人が集まっているわ」
「そんなに? 組織ってどれくらい人数がいるの?」
「さあわたしもよく分からないけれど、外国とかも合わせると何万という数じゃないかって今えらい人が言ってる。でもニュースでは行方不明のことなんてひとことも言わないでしょ。ところでカナコ明日お父さんの会社に行くんでしょ?」
「ええ、よく知ってるわね」
「ずっと話し聞いてたからね。それで明日そのお父さんの会社でやってもらいたいことがあるの。真実の世界を取り戻すための大事なことらしいよ。あ、今えらい人が直接話すって」
「カナコさんですね?」
「え、あ、ハイ」
急に貫禄のある男の人の声に変わって、カナコはついかしこまってしまった。
「偽りの世界を壊し、真実の世界を取り戻すには、あなたのお父さんの会社のマザーコンピューターをダウンさせるしか方法がないのです。マザーコンピューターへの攻撃はわたしたちからも可能ですが、防壁があるため破壊にはいたることが出来ません。しかし、わたしたちが攻撃をしてマザーコンピューターの注意をそらしている間に、あなたが偽りの世界の側から攻撃を加えれば破壊が可能です。要するにはさみうちです」
「ちょ、ちょっと待ってください。わたしがこの世界を破壊するんですか?」
「はい。やっていただけますか?」
「そんな重要なこと、わたしに出来るとは思えません。それにコンピューターへの攻撃なんて、どうやっていいか分からないし」
「それは大丈夫、明日あなたにわたしどもの人間が指示を出します。カナコさんは言われた通りにしていればいいのです。難しいのは破壊することではなくて、会社の中に入ることなのです。警備が厳重で、部外者は一切入れない。だけれど、明日あなたはお父さんと一緒に会社の中に入る。恐らくカナコさんはそこで、わたしたちの組織と接触があるかどうかを聞かれるでしょう。カナコさんを通じてわたしたちを調べようとしているはずです。でもわたしたちは逆にこのチャンスをぜひ生かしたいのです」
「そう、なんです、か」
カナコはすごく不安になった。
「すごいじゃないカナコ。責任重大だね」
軽く無責任に言うイクミが恨めしかった。
ママにイクミやキョウコのことを話しても、ちっとも信じてもらえず話にならなかった。そもそも、ママもイクミやキョウコのことを知らないというのだから、問題外だった。
それよりも、いきなり実在しないクラスメイトのことを話しだす娘の心配をされてしまった。
熱があるのではないかとか、ノイローゼではないかとか、いらない心配をされては困るので、夕食後カナコは自分の部屋にこもることにした。そして今日あった出来事を整理しようとするのだが、ちっとも考えがまとまらないのだった。
家の前をバスが通り過ぎた。そして玄関の方で音がする。どうやらパパが帰ってきたらしい。ずいぶん遅い帰宅だ。
カナコは急にベッドから飛び起きた。
「パパに聞いてみよう」
カナコがリビングに駆け込むと、パパはまだネクタイも締めたままソファでくつろいでいた。ずいぶん疲れたような顔をしている。
「パパ、ちょっと話があるの」
「お、おいなんだい急に。またおねだりかい?」
カナコの真剣な表情に、パパは押され気味になった。
「カナコ急に変なこと言い出すんですよ」
キッチンでパパの夕食を温めているママが横から声を入れた。
「あのね、わたしのクラスで行方不明の子がふたりもいるの」
カナコがいきなり本題を切り出すと、パパの表情が変わった。
「それなのに、誰もそのことを気にしていない……ううん、行方不明になった子のことを知らない、なんて言うの。そう、まるでその子なんて最初からいなかった、みたいな。これってどういうこと?」
「それはカナコの夢ですよ。最近変な夢を見るって言ってるでしょ? その夢と現実がごちゃごちゃになってるんですよ」
ママが温めた夕飯をテーブルに並べ始めた。
「ママは黙ってて」
カナコがママを制すると、ママはまあとでも言いたげな顔をした。
「カナコ、いなくなったクラスメイトの名前はちゃんと覚えているかい? それと周りの人たちは、いなくなった子のことを本当に知らない、って言ってるんだね?」
「もちろん覚えているわ。イクミの机はちゃんと教室にあるもの。いなくなる前の日、どんなお話をしたかも覚えてる。キョウコは目の前でいなくなったわ。黒い穴の中に入っていった。でもクラスのみんなはなぜか知らないっていうの。イクミやキョウコのママでさえよ?」
パパはカナコの話を食い入るように聞いていた。
「カナコ、今ねそのことが問題になってるんだ」
「やっぱり!」
カナコはやっと自分の言ってることが通じる相手が見つかって、胸を締め付けるような苦しみからやっと解放された気分になった。
胸のつっかえが取れたカナコは急にここ最近感じている、自分と世間とのズレを語り始めた。誰にも相談できずに自分の中だけで苦しんでいたことをやっと話せる相手を見つけて、今ここで言っておかないとどうしても気がすまないのだった。
日々のニュースへの不信感や、世間と自分とのギャップをせきを切ったように語り始めた。
「パパの会社では今、行方不明者の捜索や、カナコのように社会と自分のズレを感じている人を調査するためのチームが結成されているんだよ。実を言うとパパはそこの室長を任されていてね、今日は色々忙しくてこんなに遅くなってしまったんだよ。カナコ詳しい話を聞きたいから、明日パパの会社に来てくれないかな。今日はもう遅いから、あしたゆっくり聞かせてくれないか。パパ今日はクタクタでね。そうだな……明日学校は休みなさい。パパが学校に言っておくから」
「え、パパの会社に? うんいいけど、学校終わってからじゃ駄目なの?」
「あ、いや色々と調査を……、いやちょっとでも早いほうがいいと思ってね。それにこれはとても大事なことなんだ」
「そうなの? うん分かった」
世界で自分ひとりだけだと思っていた孤独感から解放され、カナコはほっと安堵の息をつくことができた。
けれど疑問もひとつあった。
「でも……パパの会社ってコンピューターのお仕事なんでしょ? どうしてそこでいなくなった人のことを調べているの?」
「そ……それはね、パパの会社は実はいろいろなことをやっていてね。まあ、その、なんだ。警察では出来ないようなことを手がけているって言うのかな」
「ふうん、そうなの」
パパの歯切れの悪い返事に、カナコは首をかしげながらも納得して、そのままおやすみなさいと告げると自分の部屋に戻った。
カナコは夢にうなされていた。ここ数日いつもカナコを悩ませる誰かにささやきかけられる変な夢だ。
自分に何かを語りかける何者かの声は相変わらず何を言っているのか聞き取れない。あと少しで、聞き取れそうなのになぜか聞き取れない。なんとももどかしい。
そういえば、とカナコはこの声をどこかで聞いたような気がした。そうだ、昼間キョウコと一緒に公園に自分たちを導いた声だ。じゃあ、キョウコもこれと同じ声を聞いていたということなのだろうか?
カナコは目を覚ました。まだ辺りは真っ暗だ。
どうしてこんな夜中に目が覚めたのだろうと、時計を見ると一時だった。再び眠りにつくため布団をかぶる。
「カナコ」
思いがけず、暗がりから呼びかけられて、カナコは思わず呼吸を止めた。じっと部屋の中の気配をうかがう。
「カナコ。起きて」
カナコを呼ぶ声にどこか聞き覚えがあった。この声は確か。
「イクミ!?」
カナコは飛び起きた。電気をつけて、友人の姿を探したがどこにもなかった。空耳だったろうか?
「カナコ」
「え!?」
カナコは声のした方を振り返ったが、誰もいない。声はするのに姿は見えなかった。
「イクミなの? どこにいるの?」
「わたしはここにいるわ。ただ姿が見えないだけ」
声はするのに姿は見えない。カナコは友人の聞き覚えのある声に懐かしさを覚えながらも、どこかゾッとするものも感じていた。
「どういうこと? 姿が見えないって??」
「簡単に言えば、今わたしはカナコの目の前にいるけれど、カナコが見えていないだけなのよ」
その言葉にカナコは自分の前の方を手で探ってみたが、なにも手ごたえはなかった。
「どこにいるの? イクミ? というよりあなた生きているの?」
「大丈夫、生きてるよ。ただ、カナコがわたしを認識できていないだけなのよ。今カナコの手がわたしの顔をなでているけれど、あなたはなにも感じないでしょう?」
「わからないわ。でもどうして?」
「それは今カナコがそういう世界にいるからよ。わたしの声だけは、あなたは感じることが出来るけれど、それが精一杯。わたしの姿や感触までは感じることが出来ないわ」
「イクミにはわたしは見えているの?」
「もちろんよ。カナコの姿はよく見えているわ。今わたしはそういう世界……真実の世界にいるからよ」
「真実? それどういうこと」
「それは、カナコが偽りの世界にいるということよ」
偽り、と聞いてカナコは今立っている地面がぐらぐらと揺れるような錯覚を起こした。普通に何気なく過ごしている、この世界が偽り? 声だけの友人はいとも簡単に言ってのけた。
「偽りって、何が偽りなの?」
「全てよ」
カナコは気が遠くなりそうだった。今、カナコが見ているこの世界全てが偽りだというのか?
「カナコの住んでいる世界の人全て、意識操作されて真実を見えなくさせられているのよ」
「うそ」
「うそじゃないわ。本当の世界を隠して、作られた偽りの世界の中でカナコたちはいつまでもだまされ続けているのよ」
「どうしてそんなことする必要があるの? わたしたちをだまして何か得でもあるの?」
「得はないわ。ただ真実を隠しているだけ。本当の世界は、あなたが住んでいるような世界とは全く違うわ」
イクミはひと呼吸おいた。なにから話すべきか考えをまとめているかのようだ。
「カナコは、今地球上の人口がどれくらいいるか知ってる?」
「え? 百億くらいだっけ?」
確か社会の授業でそう聞いたような気がする。
「不正解。実際は十億にも満たないわ。それから毎日ニュース見てる? あれ見てなにか変だと思わなかった? ニュースの中には欧米諸国のものも含まれていたと思うけど、今欧米には人なんて住んでいないわ。あそこは核戦争でもう誰も住むことが出来なくなっているの。今人間が住める地域はアジアからインドにかけてのみよ。あとは戦争やテロ、環境汚染や自然災害で人が住めるような場所ではなくなったの。でも、それらの地域のニュースが毎日のように流れているでしょ? それは、今から何十年も昔のニュースを使いまわしているのよ。他のニュースもそう。全てうそのニュースよ。本当に起きた事件や出来事はほとんどが伏せられているの」
「わたしはニュースを見て、どこか違和感を覚えていたの。どこか他人事みたいというか。でもそれは自分とは遠い世界の出来事だからだと思っていたの。でも実際はそうじゃなかったってこと?」
「そのとおりよ。それはカナコに意識操作が完全には効いていなかったからよ。意識操作はテレビを通じて行われているの。人々がテレビを見ることで、そこに流れていることがらを鵜呑みにして信じてしまう。テレビの電波には、映像を映す役割ともうひとつ、人間の脳に幻覚を見せる役割もあるってわけ。だから、今カナコが見ている世界は、まさにテレビを見ているのと同じように、作り物の世界を見せられているの。それら全てをコンピューターが一括管理しているの。人類をだます一大ペテンの空想の世界を作り上げてね。ご飯がその代表格かしら? ご飯そのものはみんなが食べているけど、ホントはかなり粗末なものを食べさせられているわ。でも見た目や味を意識操作で変えて、いかにも豪華に仕立ててあるの」
今自分が見ているもの全てが作り物だと知ってカナコは恐ろしくなった。さっき食べた夕食もにせものだったとは。一体何を食べさせられていたのだろうか?
「でもね、カナコは完全には意識操作させられてはいないわ。だってまずわたしの声が聞こえるもの。普通に意識操作されている人なら、声も聞こえないわ。この世界に違和感を持ったりすることもなければ、居心地の悪さも感じないはず。意識操作されていれば、この世界に対して何の疑問も持たずおとなしく、犯罪を犯すこともなく従順な人間に仕立て上げられるわ」
イクミの言葉を聞いて、すぐさまママの顔が思い浮かんだ。あの人はまったくこの世界に対して疑いも何も持っていないだろう。
「イクミはどうだったの?」
「わたしも違和感を覚えていたひとりよ。カナコは以前のわたしをおぼえている? 姿を消す前のわたしはどこか変じゃなかった?」
そう言われてカナコはイクミが姿を消す前、世の中についての矛盾を言い続けていたような気がする。それはまさに今の自分と重なった。
「わたしやカナコみたいに、意識操作があまり効かない人が世の中には大勢いるの。わたしたちは、そういう人にメッセージを送り続けて、気がついてくれた人を仲間に引き入れているのよ」
「わたしたち?」
「そう。世界の真実を暴くために結成されている組織よ。この偽りの世界を壊して、人間本来の世界を取り戻すために活動しているの。とはいってもわたしもつい四日前に加わった新米だけどね。でも、昼間はキョウコを仲間に加えたし、今こうしてカナコともコンタクトを取れた。なかなか上出来じゃない? 実を言うとここ三日くらいずっとカナコの枕元に立って、声をかけ続けていたのよ」
どうやら毎晩見ていた夢は、夢なんかじゃなくて、イクミが必死にメッセージを送っていたものだったようだ。
「キョウコはイクミが連れて行ったのね。じゃあ今キョウコは真実の世界にいるの?」
「そうよ。今カナコがいる偽りの世界は全てコンピューターが管理している世界なの。だから、そこに不正アクセスしてわたしやキョウコのデータを抹消するの。そうすると、偽りの世界から存在がまったくなくなってしまうの。不思議でしょ。コンピューターが認知していない存在は、カナコたち偽りの世界の住人も認知できないの」
「ああ、それで……」
イクミやキョウコの存在がまるで最初からなかったかのような世間の反応が少し分かったような気がした。
「ねえ、イクミ。わたしもその組織に加わりたい。偽りの世界なんかじゃなくて、本当の世界が見たい」
「そう言うだろうと思ってた。ちゃんとあなたを加える準備は出来ているわ。でも……。少しあなたにやってもらいたいことがあるの」
「わたしに?」
「そう。組織の上の人が言うには、カナコじゃないと出来ないことらしいの。詳しいことは分からないけど、あなたのお父さんの勤めている会社が鍵らしいのよ」
「パパの……?」
「カナコのお父さんの勤めている会社はね、表向きはコンピューター会社となっているけれど、本当は偽りの世界を管理している情報局なの。全国民を意識操作するコンピューターを運営したり、偽りの世界に異常がないか保守を行ったり、意識操作が効かない人をチェックしているの。そしてわたしたちの組織も監視しているわ」
「そう……なの……。ね、ねえもしかして今このまわりにその組織の人がいるの?」
「いるわよ。十人くらい、組織のえらい人が集まっているわ」
「そんなに? 組織ってどれくらい人数がいるの?」
「さあわたしもよく分からないけれど、外国とかも合わせると何万という数じゃないかって今えらい人が言ってる。でもニュースでは行方不明のことなんてひとことも言わないでしょ。ところでカナコ明日お父さんの会社に行くんでしょ?」
「ええ、よく知ってるわね」
「ずっと話し聞いてたからね。それで明日そのお父さんの会社でやってもらいたいことがあるの。真実の世界を取り戻すための大事なことらしいよ。あ、今えらい人が直接話すって」
「カナコさんですね?」
「え、あ、ハイ」
急に貫禄のある男の人の声に変わって、カナコはついかしこまってしまった。
「偽りの世界を壊し、真実の世界を取り戻すには、あなたのお父さんの会社のマザーコンピューターをダウンさせるしか方法がないのです。マザーコンピューターへの攻撃はわたしたちからも可能ですが、防壁があるため破壊にはいたることが出来ません。しかし、わたしたちが攻撃をしてマザーコンピューターの注意をそらしている間に、あなたが偽りの世界の側から攻撃を加えれば破壊が可能です。要するにはさみうちです」
「ちょ、ちょっと待ってください。わたしがこの世界を破壊するんですか?」
「はい。やっていただけますか?」
「そんな重要なこと、わたしに出来るとは思えません。それにコンピューターへの攻撃なんて、どうやっていいか分からないし」
「それは大丈夫、明日あなたにわたしどもの人間が指示を出します。カナコさんは言われた通りにしていればいいのです。難しいのは破壊することではなくて、会社の中に入ることなのです。警備が厳重で、部外者は一切入れない。だけれど、明日あなたはお父さんと一緒に会社の中に入る。恐らくカナコさんはそこで、わたしたちの組織と接触があるかどうかを聞かれるでしょう。カナコさんを通じてわたしたちを調べようとしているはずです。でもわたしたちは逆にこのチャンスをぜひ生かしたいのです」
「そう、なんです、か」
カナコはすごく不安になった。
「すごいじゃないカナコ。責任重大だね」
軽く無責任に言うイクミが恨めしかった。
世界のしくみ(3)
終業後帰宅すると、カナコは玄関にカバンを投げ出したまま、制服のままで外へ飛び出した。
どうしても確かめたいことがあった。すると自然と脚が駆け出していた。
弓原イクミの家の前。今朝、スクールバスが停まらなかった家だ。
一体今彼女はどうしているのか? 大きなケガや、重い病気にでもかかっているのだろうか? 今思えば、学校を休む直前、彼女の様子が少しおかしかった。
震える指でチャイムを鳴らした。
程なくイクミの母親が出てくる。何度もこの家に遊びに来たことがあるカナコは、顔なじみのはずなのに、なぜかイクミの母親は不審そうな顔をしている。まるで初対面であるみたいに。
「あの、イクミは……イクミは元気にしてますか?」
「イクミ?」
母親はさらに不審そうな顔になった。
「え? あの? 弓原イクミさんは……?」
カナコは嫌な予感がした。
「ウチにはそんな子いませんけど? あなたどちら様? お家を間違ってませんか?」
予感が的中した。なぜだか分からないが、この絶望的なセリフがあらかじめ読めていた。
再びカナコは自分がどうかしてしまったのではないか? という思いにとらわれた。
つい四日前まで一緒に遊んでいた弓原イクミは、本当に存在していたのだろうか? 自分はなにかとんでもない勘違いをしているのか?
それとも世の中が何かおかしいのか??
弓原家を後にして、帰宅の足取りが重かった。
落胆するカナコに誰かがささやきかけてきた。驚いてふり向くが誰もいない。
「誰?」
姿は見えないのに声だけが聞こえていた。ただその声もなにを言っているのかよく聞き取れない。チューニングのあわないラジオを聴いてるみたいに、雑音だらけで、声が近くなったり遠くなったりしている。
何を言っているのかは分からなかったが、こちらを招いているような感じだけは伝わった。
声に誘われるままに、カナコは声のする方へと進んでいった。
しばらくして、カナコは自分よりも少し前を歩いている少女も、自分と同じく声に誘われて歩いていることに気がついた。自分の意思ではない、目に見えない誰かに手を引かれて歩いているかのような足取りだったからだ。
よく見るとその少女はクラスメイトの国崎キョウコだった。中学に入ってからはあまり話しをしなくなっていたが、家が近所ということもあって小学生の頃はよく遊んだ仲だった。
「キョウちゃん」
カナコは思わず小学生時代の呼び名で呼んだ。しかしキョウコは聞こえないのか、振り返りもしなかった。
キョウコとカナコはやがて公園にやってきた。人気のないさみしい公園には人っ子一人いない。
公園の奥にある公衆便所へと進むと、公衆便所の壁に大きな穴があいているのが見えた。
一体誰がこんな所に穴を、とカナコが思って見ると、それは壁にあいた穴ではなかった。
壁からたっぷり一メートルは離れた位置に穴があいていた。何もない宙に穴が浮いているのだった。丸くぽっかりとあいた穴は、直径が二メートルくらいはある大きな穴だった。
穴の中はどす黒くて薄気味悪かったが、穴の反対側に回ると穴は見えず、普通の景色だった。
「一体この穴は何? なんだと思う? キョウちゃん」
カナコがキョウコに話しかけると、今まさにキョウコがその穴の中に入ろうと片足を突っ込んでいるところだった。
「キョウちゃん!?」
びっくりしたカナコは、穴に入ろうとするキョウコを引きとめようとしたが、キョウコはそのまますっぽりと穴の中に姿を消してしまった。
カナコは穴の中をのぞきこんでみたが、真っ暗で何も見えない。キョウコの名前を呼んでも返事はなかった。
キョウコを飲み込んだ穴がだんだん霞のように薄れてきた。そしてものの一分とたたないうちに、跡形もなくなった。
カナコは呆然とその場に立ち尽くした。今起きたことは現実なのだろうか? 人がひとりいなくなってしまったのだ。
急にカナコは何かを思いついたように駆け出した。
着いた先は国崎キョウコの家だ。小学生の頃は何度も遊びに来たことのある家だ。チャイムを鳴らすと、見覚えのあるキョウコの母親が現れた。
「ウチにはキョウコなんて子いませんけど? あなたどちら様? お家を間違ってませんか?」
カナコには母親の答えがなんとなく分かっていた気がした。
カナコは何が何だか分からなくなっていた。自分がどうかしてしまったんじゃないかと思えた。
まるで世界で自分ひとりだけが孤立しているような気分だ。
どうしても確かめたいことがあった。すると自然と脚が駆け出していた。
弓原イクミの家の前。今朝、スクールバスが停まらなかった家だ。
一体今彼女はどうしているのか? 大きなケガや、重い病気にでもかかっているのだろうか? 今思えば、学校を休む直前、彼女の様子が少しおかしかった。
震える指でチャイムを鳴らした。
程なくイクミの母親が出てくる。何度もこの家に遊びに来たことがあるカナコは、顔なじみのはずなのに、なぜかイクミの母親は不審そうな顔をしている。まるで初対面であるみたいに。
「あの、イクミは……イクミは元気にしてますか?」
「イクミ?」
母親はさらに不審そうな顔になった。
「え? あの? 弓原イクミさんは……?」
カナコは嫌な予感がした。
「ウチにはそんな子いませんけど? あなたどちら様? お家を間違ってませんか?」
予感が的中した。なぜだか分からないが、この絶望的なセリフがあらかじめ読めていた。
再びカナコは自分がどうかしてしまったのではないか? という思いにとらわれた。
つい四日前まで一緒に遊んでいた弓原イクミは、本当に存在していたのだろうか? 自分はなにかとんでもない勘違いをしているのか?
それとも世の中が何かおかしいのか??
弓原家を後にして、帰宅の足取りが重かった。
落胆するカナコに誰かがささやきかけてきた。驚いてふり向くが誰もいない。
「誰?」
姿は見えないのに声だけが聞こえていた。ただその声もなにを言っているのかよく聞き取れない。チューニングのあわないラジオを聴いてるみたいに、雑音だらけで、声が近くなったり遠くなったりしている。
何を言っているのかは分からなかったが、こちらを招いているような感じだけは伝わった。
声に誘われるままに、カナコは声のする方へと進んでいった。
しばらくして、カナコは自分よりも少し前を歩いている少女も、自分と同じく声に誘われて歩いていることに気がついた。自分の意思ではない、目に見えない誰かに手を引かれて歩いているかのような足取りだったからだ。
よく見るとその少女はクラスメイトの国崎キョウコだった。中学に入ってからはあまり話しをしなくなっていたが、家が近所ということもあって小学生の頃はよく遊んだ仲だった。
「キョウちゃん」
カナコは思わず小学生時代の呼び名で呼んだ。しかしキョウコは聞こえないのか、振り返りもしなかった。
キョウコとカナコはやがて公園にやってきた。人気のないさみしい公園には人っ子一人いない。
公園の奥にある公衆便所へと進むと、公衆便所の壁に大きな穴があいているのが見えた。
一体誰がこんな所に穴を、とカナコが思って見ると、それは壁にあいた穴ではなかった。
壁からたっぷり一メートルは離れた位置に穴があいていた。何もない宙に穴が浮いているのだった。丸くぽっかりとあいた穴は、直径が二メートルくらいはある大きな穴だった。
穴の中はどす黒くて薄気味悪かったが、穴の反対側に回ると穴は見えず、普通の景色だった。
「一体この穴は何? なんだと思う? キョウちゃん」
カナコがキョウコに話しかけると、今まさにキョウコがその穴の中に入ろうと片足を突っ込んでいるところだった。
「キョウちゃん!?」
びっくりしたカナコは、穴に入ろうとするキョウコを引きとめようとしたが、キョウコはそのまますっぽりと穴の中に姿を消してしまった。
カナコは穴の中をのぞきこんでみたが、真っ暗で何も見えない。キョウコの名前を呼んでも返事はなかった。
キョウコを飲み込んだ穴がだんだん霞のように薄れてきた。そしてものの一分とたたないうちに、跡形もなくなった。
カナコは呆然とその場に立ち尽くした。今起きたことは現実なのだろうか? 人がひとりいなくなってしまったのだ。
急にカナコは何かを思いついたように駆け出した。
着いた先は国崎キョウコの家だ。小学生の頃は何度も遊びに来たことのある家だ。チャイムを鳴らすと、見覚えのあるキョウコの母親が現れた。
「ウチにはキョウコなんて子いませんけど? あなたどちら様? お家を間違ってませんか?」
カナコには母親の答えがなんとなく分かっていた気がした。
カナコは何が何だか分からなくなっていた。自分がどうかしてしまったんじゃないかと思えた。
まるで世界で自分ひとりだけが孤立しているような気分だ。
世界のしくみ(2)
ここ二三日、カナコは同じ夢を見つづけていた。
姿の見えない誰かから話しかけられる夢だ。
その誰かは必死で自分にメッセージを送り続けているみたいなのだが、自分はというと眠っていて全く気がつかないのだった。
そんな様子を客観的に見ている夢で、どうにももどかしくて仕方ない。カナコは自分に向かって、気づいてあげろよ! と叫ぶのだが、その声すら自分には聞こえていないようだった。なんとももどかしい夢。
朝の食卓にはすでに朝食が並んでいた。今朝はトーストにハムエッグ、サラダ、そしてホットミルクだ。
ママが食卓に並べているが、もちろん作ったのはママではない。ママの仕事は配給されてきたこれらの食事を温めるだけなのだ。
「ねえ、わたしゆうべも変な夢見た」
「アラ、また見たの? 気にしない方がいいわよ。ママなんて全然夢見ないもの。カナコみたいに夢を見られるなんてうらやましいわ。さ、早く食べちゃいなさい。学校遅れるわよ」
ママに全く相手にしてもらえず、カナコがしかめっつらでトーストにかじりつくと、パパが食卓に着いた。
「おはよう。カナコ、夜寝る時に端末でテレビつけっぱなしで見てるだろう? それが良くないんだよ」
「ふぅ〜ん。どうして?」
「え? あ、いや、テレビや携帯からは脳波に影響を与える特殊な信号が発信されているからね。それを寝ながら浴びるということは、番組がそのまま夢に現れる可能性があるってことだ」
「そうかなあ? テレビは毎晩違うこと言ってるのに、夢は毎晩一緒だよ。今朝だって昨日と違うニュースしてるじゃない」
カナコはリビングのテレビを指差した。そこには朝の情報番組が映っている。いつも同じような番組に見えて、ニュースは毎回違ったことを言っている。よく、毎日毎日ニュースがあるもんだ、とカナコは不思議に思う。たまにはニュースのない日だってあってもいいじゃない。
「そうかなあ? いつもと同じ平和なことを言ってるように見えるぞ」
パパはテレビを見ながら言った。すごく気のない言い方に聞こえた。
「違うよ。毎日違うこと言ってるよ。今朝はアメリカのえらい人が日本に来たこと言ってるけど、昨日は……昨日は??」
カナコは昨日のニュースを言おうとしたが思い出せなかった。なんだっけ? 何か言ってたように思うのだが、思い出せない。
きっとどうでもいいニュースに違いない。記憶に残らないニュースなんて、本当どうでもいいのだ、多分。それこそ、誰かが適当に作ったニュースに違いない。フィクションってヤツだ。
「きっと本当のニュース自体はネタ切れで、誰かがこっそり作ったにせもののニュースなんだよ。ホラ、お笑い芸人だって、ネタが尽きたら同じようなギャグを使いまわすじゃない。あれと一緒よ」
「そ、そんなことあるわけないじゃないか! ニュースとお笑いを一緒にするなんて失礼だぞ!」
急にパパがうろたえた。
「それにニュースもどこか変よ。犯罪事件が全くないなんておかしいわ。いつも良いニュースしか言わないなんて不自然よ。たまには悪いこともないと。これはきっと誰かが情報操作しているのよ」
「カナコ! 誰がそんなことを言ってる!? そんなことはないぞ! 断じてない!」
突然パパが立ち上がって激昂した。
カナコはびっくりしてその場に硬直した。普段は優しいパパなのに、すごい剣幕だったからあっけに取られてしまったのだ。
「アラ、ママは毎日平和なニュースの方がうれしいわ。犯罪だなんてママ怖いわ。ホラ、カナコくだらないこと言ってないで。早くしないとバスに乗り遅れるわよ」
「うわ、まっずーい!」
カナコは慌ててパンをくわえたまま家を飛び出した。
五年前に自家用車廃止令が施行されてからというもの、公共の交通機関だけが市民の足となった。
発足当初は多少の反発はあったものの、完全コンピューター管理でバスや電車等のサービスを格段に向上させた結果、渋滞や混雑のない快適な交通機関が出来上がった。
何より、自家用車がなくなったことにより、自動車の数が激減し大気汚染が無くなった。また化石燃料の消費量も減った。
この一見強引にも思える政策も、いざ始めてみると市民はすっかり慣れ親しんでしまった。いまや誰一人としてこの現状に疑問を抱くものはいない。
というよりも、あまりにも市民はこの政策に対して従順すぎた。
カナコが家を飛び出すと同時に、スクールバスが家の前にやってきた。こうやって地区ごとに一軒一軒生徒の家の前を回っているのだ。
別にバスの時間に遅れたからといって、バスが通り過ぎてしまうことはなかった。家の前に出ていなくても、運転手が気を利かせて家のチャイムを鳴らしてくれるので、乗り遅れることはないのでありがたいことなのだが、この運転手にピンポンされるということはバス通学している者からすれば大変な恥で、それだけはなんとしても避けないといけないのだ。
カナコは平然とした面持ちでバスに乗り込む。ギリギリ間に合ったなんて思わせることなく。
それにしても。とカナコは思う。
なぜ他の生徒は誰一人として遅れないのだろう? みんな判で押したように時間に正確だ。
自分だけがこうして毎朝ギリギリでバスに乗るのはどうしてなのか? それとも他の生徒も自分と同じくギリギリなんだけど、そんな風に見せてないだけ?
ああ、せめてバス通学じゃなくて自分の足で学校に通えたらなあ。と、いつもカナコは思うのだった。そうすればバスの時間を気にすることもなく……あ、いやそうすると今度は学校に遅れることになるのか。
バスがとある家の前を通りがかった時、カナコは窓から家を見つめた。
二階建ての別に特徴らしい特徴もない家だ。いかにも住宅地で建売されているようなごくごく普通の一軒屋で、カナコの家とそんなに違いはない。その家の外には誰もいないし、バスも停まらない。誰も乗せていくこともなく、その家の前を通り過ぎていった。
バスの後ろに流れていく家をカナコはいつまでも見つめていた。
「ねえねえ、昨日のテレビ見た?」
学校ではクラスメイトたちが昨日のバラエティー番組の話題で持ちきりだった。
「見た見た。新ネタ面白かったよねー」
カナコも友人たちの話題に加わる。カナコのグループはお笑い番組での芸人たちのネタを批評しあうのが、いつものトークの中心だった。
「面白いなんてもんじゃないよー。あれはねヤバイよ。ホント」
面白ければ何でもいいエリは、昨日の番組を思い出し笑いながらむせている。
「ホントすっごいよね。よくあんな面白いネタ次々に出せるよね」
芸人そのものよりも、ネタのデキにこだわりを持つサヤカは、とにかく感心しきり。
「天才だよ。もうこれからのお笑いを引っ張っていくんじゃない?」
たくさんの芸人の相関関係が気になって仕方ないフミは、芸能界全体の行く末をも見据えている。
友人たちが予想以上に熱狂的に話しているのを見て、カナコはふと自分がその話題の中に入れないでいるのに気がついた。
「ね、ねえ、ちょっとどうしたの? 何か変じゃない?」
「何が? カナコこそ変よ。どうしてそんなに冷静にいられるの? だってあんなに面白かったというのに」
エリはちっとも笑っていないカナコが不思議で仕方ない様子だ。
「確かに、面白かったけど、そこまで……」
「カナコは精神的にオトナなのよ。だから子供の話題なんかに興味ないのよ」
サヤカは眼鏡をかけなおし、カナコの顔をのぞき込んだ。まるで心の中を分析しようかというような仕草だ。
「そんなことないけど……。それよりさ、最近のニュースおかしくない? 何というか、すごく他人事みたいに感じるというか、現実的じゃないというか」
「わたしニュースなんて見ないからわかんない」
芸能界意外は全く興味のないフミの返事はそっけない。
「わたしもー」
「カナコってオトナだからさ、ニュースに興味があるんだよ」
「そんなことないって。だってあの芸能人カップルも離婚するって言う話も、何だか変だし……」
話が変な方向に行きそうになってカナコは慌てて調子を合わせた。
「あ、見たそれー。びっくりだよねー」
「だってあんなにお似合いのカップルだったのに」
「いや、わたしは逆によくここまで長続きした方だなって思うな」
「え? どうして?」
再び友人たちは熱狂的に話し始め、カナコはカヤの外へ追いやられてしまった。何か変だ。
どうして自分はこんなに友人たちの会話に入ることが出来ないのだろう? 自分が冷めてしまってるせいなのか? それとも友人たちが熱狂的過ぎるんだろうか?
カナコは教室を見渡した。生徒たちみんな昨日のテレビだったり、ネット上の話題だったり、何かしら熱狂的に話し込んでいる。その中になぜかうまく加われない自分がいた。
自分がおかしいのか? それとも周りが……?
教室には空いた席がひとつあった。三日前から空いたままのその席を気にするものはひとりもいなかった。
「ねえねえ、ちょっといいかな?」
カナコが空いた席のことを聞こうと思ったその時、チャイムが鳴り先生が教室に入ってきた。カナコの言葉はさえぎられてしまった。
先生が出席を取り始め、生徒は順番に返事をする。しかし、空いた席の生徒の名前は呼ばれなかった。なぜいないのかさえも説明がない。三日前からそうだ。
なぜ誰も指摘しないのだろう? なぜ誰も気づかないのだろう?
たまりかねたカナコは立ち上がった。
「先生、弓原さんはなぜ学校を休んでいるんですか?」
教室がしんと静まり返った。なんだか不穏な空気だ。
「弓原さん?」
中年の男性担任が聞き返してきた。眼鏡をかけなおす仕草をしてもう一度聞き返す。
「弓原さんとは誰ですか?」
気の弱い中年教師は、カナコの剣幕に少し押されぎみに声が小刻みに震えている。
「は!? 弓原イクミさんですよ! 図書委員で、吹奏楽部の!」
カナコはつい声を荒げた。先生がとぼけたり、冗談を言ってるようには思えなかったが、何かおかしい。
教室中がどよめきだした。何かおかしい。
「弓原さんとは誰ですか?」
中年教師は教壇の上で震えてるんじゃないかと思えるくらい、弱々しい声で同じ言葉を繰り返した。
「いえ、なんでもありません……」
カナコは空気が抜けたみたいにイスに座り込んだ。顔が真っ赤になるくらい恥ずかしかった。なんなのだろう? この違和感は?
「ねえねえカナコ、誰それ? 弓原イクミって?」
後ろの席のフミが小声でささやきかけてきた。軽く笑っている所をみると、カナコが何かのギャグでもやったかのように思っているらしい。見ればクラス中の生徒がカナコを注目して、笑ったりささやきあったりしている。
「ねえ、ホントにイクミのこと知らないの?」
カナコはフミにたずね返した。つい四日前まで一緒のグループで仲良くしていた仲間なのだ。
「だから、イクミって誰よ?」
カナコはこの場から逃げ出したい気分だった。
自分がおかしいのか? それとも周りがおかしいのか? どっちなのか?
クラスでただひとり、国崎キョウコだけがじっと真顔でカナコのことを見つめていた。
姿の見えない誰かから話しかけられる夢だ。
その誰かは必死で自分にメッセージを送り続けているみたいなのだが、自分はというと眠っていて全く気がつかないのだった。
そんな様子を客観的に見ている夢で、どうにももどかしくて仕方ない。カナコは自分に向かって、気づいてあげろよ! と叫ぶのだが、その声すら自分には聞こえていないようだった。なんとももどかしい夢。
朝の食卓にはすでに朝食が並んでいた。今朝はトーストにハムエッグ、サラダ、そしてホットミルクだ。
ママが食卓に並べているが、もちろん作ったのはママではない。ママの仕事は配給されてきたこれらの食事を温めるだけなのだ。
「ねえ、わたしゆうべも変な夢見た」
「アラ、また見たの? 気にしない方がいいわよ。ママなんて全然夢見ないもの。カナコみたいに夢を見られるなんてうらやましいわ。さ、早く食べちゃいなさい。学校遅れるわよ」
ママに全く相手にしてもらえず、カナコがしかめっつらでトーストにかじりつくと、パパが食卓に着いた。
「おはよう。カナコ、夜寝る時に端末でテレビつけっぱなしで見てるだろう? それが良くないんだよ」
「ふぅ〜ん。どうして?」
「え? あ、いや、テレビや携帯からは脳波に影響を与える特殊な信号が発信されているからね。それを寝ながら浴びるということは、番組がそのまま夢に現れる可能性があるってことだ」
「そうかなあ? テレビは毎晩違うこと言ってるのに、夢は毎晩一緒だよ。今朝だって昨日と違うニュースしてるじゃない」
カナコはリビングのテレビを指差した。そこには朝の情報番組が映っている。いつも同じような番組に見えて、ニュースは毎回違ったことを言っている。よく、毎日毎日ニュースがあるもんだ、とカナコは不思議に思う。たまにはニュースのない日だってあってもいいじゃない。
「そうかなあ? いつもと同じ平和なことを言ってるように見えるぞ」
パパはテレビを見ながら言った。すごく気のない言い方に聞こえた。
「違うよ。毎日違うこと言ってるよ。今朝はアメリカのえらい人が日本に来たこと言ってるけど、昨日は……昨日は??」
カナコは昨日のニュースを言おうとしたが思い出せなかった。なんだっけ? 何か言ってたように思うのだが、思い出せない。
きっとどうでもいいニュースに違いない。記憶に残らないニュースなんて、本当どうでもいいのだ、多分。それこそ、誰かが適当に作ったニュースに違いない。フィクションってヤツだ。
「きっと本当のニュース自体はネタ切れで、誰かがこっそり作ったにせもののニュースなんだよ。ホラ、お笑い芸人だって、ネタが尽きたら同じようなギャグを使いまわすじゃない。あれと一緒よ」
「そ、そんなことあるわけないじゃないか! ニュースとお笑いを一緒にするなんて失礼だぞ!」
急にパパがうろたえた。
「それにニュースもどこか変よ。犯罪事件が全くないなんておかしいわ。いつも良いニュースしか言わないなんて不自然よ。たまには悪いこともないと。これはきっと誰かが情報操作しているのよ」
「カナコ! 誰がそんなことを言ってる!? そんなことはないぞ! 断じてない!」
突然パパが立ち上がって激昂した。
カナコはびっくりしてその場に硬直した。普段は優しいパパなのに、すごい剣幕だったからあっけに取られてしまったのだ。
「アラ、ママは毎日平和なニュースの方がうれしいわ。犯罪だなんてママ怖いわ。ホラ、カナコくだらないこと言ってないで。早くしないとバスに乗り遅れるわよ」
「うわ、まっずーい!」
カナコは慌ててパンをくわえたまま家を飛び出した。
五年前に自家用車廃止令が施行されてからというもの、公共の交通機関だけが市民の足となった。
発足当初は多少の反発はあったものの、完全コンピューター管理でバスや電車等のサービスを格段に向上させた結果、渋滞や混雑のない快適な交通機関が出来上がった。
何より、自家用車がなくなったことにより、自動車の数が激減し大気汚染が無くなった。また化石燃料の消費量も減った。
この一見強引にも思える政策も、いざ始めてみると市民はすっかり慣れ親しんでしまった。いまや誰一人としてこの現状に疑問を抱くものはいない。
というよりも、あまりにも市民はこの政策に対して従順すぎた。
カナコが家を飛び出すと同時に、スクールバスが家の前にやってきた。こうやって地区ごとに一軒一軒生徒の家の前を回っているのだ。
別にバスの時間に遅れたからといって、バスが通り過ぎてしまうことはなかった。家の前に出ていなくても、運転手が気を利かせて家のチャイムを鳴らしてくれるので、乗り遅れることはないのでありがたいことなのだが、この運転手にピンポンされるということはバス通学している者からすれば大変な恥で、それだけはなんとしても避けないといけないのだ。
カナコは平然とした面持ちでバスに乗り込む。ギリギリ間に合ったなんて思わせることなく。
それにしても。とカナコは思う。
なぜ他の生徒は誰一人として遅れないのだろう? みんな判で押したように時間に正確だ。
自分だけがこうして毎朝ギリギリでバスに乗るのはどうしてなのか? それとも他の生徒も自分と同じくギリギリなんだけど、そんな風に見せてないだけ?
ああ、せめてバス通学じゃなくて自分の足で学校に通えたらなあ。と、いつもカナコは思うのだった。そうすればバスの時間を気にすることもなく……あ、いやそうすると今度は学校に遅れることになるのか。
バスがとある家の前を通りがかった時、カナコは窓から家を見つめた。
二階建ての別に特徴らしい特徴もない家だ。いかにも住宅地で建売されているようなごくごく普通の一軒屋で、カナコの家とそんなに違いはない。その家の外には誰もいないし、バスも停まらない。誰も乗せていくこともなく、その家の前を通り過ぎていった。
バスの後ろに流れていく家をカナコはいつまでも見つめていた。
「ねえねえ、昨日のテレビ見た?」
学校ではクラスメイトたちが昨日のバラエティー番組の話題で持ちきりだった。
「見た見た。新ネタ面白かったよねー」
カナコも友人たちの話題に加わる。カナコのグループはお笑い番組での芸人たちのネタを批評しあうのが、いつものトークの中心だった。
「面白いなんてもんじゃないよー。あれはねヤバイよ。ホント」
面白ければ何でもいいエリは、昨日の番組を思い出し笑いながらむせている。
「ホントすっごいよね。よくあんな面白いネタ次々に出せるよね」
芸人そのものよりも、ネタのデキにこだわりを持つサヤカは、とにかく感心しきり。
「天才だよ。もうこれからのお笑いを引っ張っていくんじゃない?」
たくさんの芸人の相関関係が気になって仕方ないフミは、芸能界全体の行く末をも見据えている。
友人たちが予想以上に熱狂的に話しているのを見て、カナコはふと自分がその話題の中に入れないでいるのに気がついた。
「ね、ねえ、ちょっとどうしたの? 何か変じゃない?」
「何が? カナコこそ変よ。どうしてそんなに冷静にいられるの? だってあんなに面白かったというのに」
エリはちっとも笑っていないカナコが不思議で仕方ない様子だ。
「確かに、面白かったけど、そこまで……」
「カナコは精神的にオトナなのよ。だから子供の話題なんかに興味ないのよ」
サヤカは眼鏡をかけなおし、カナコの顔をのぞき込んだ。まるで心の中を分析しようかというような仕草だ。
「そんなことないけど……。それよりさ、最近のニュースおかしくない? 何というか、すごく他人事みたいに感じるというか、現実的じゃないというか」
「わたしニュースなんて見ないからわかんない」
芸能界意外は全く興味のないフミの返事はそっけない。
「わたしもー」
「カナコってオトナだからさ、ニュースに興味があるんだよ」
「そんなことないって。だってあの芸能人カップルも離婚するって言う話も、何だか変だし……」
話が変な方向に行きそうになってカナコは慌てて調子を合わせた。
「あ、見たそれー。びっくりだよねー」
「だってあんなにお似合いのカップルだったのに」
「いや、わたしは逆によくここまで長続きした方だなって思うな」
「え? どうして?」
再び友人たちは熱狂的に話し始め、カナコはカヤの外へ追いやられてしまった。何か変だ。
どうして自分はこんなに友人たちの会話に入ることが出来ないのだろう? 自分が冷めてしまってるせいなのか? それとも友人たちが熱狂的過ぎるんだろうか?
カナコは教室を見渡した。生徒たちみんな昨日のテレビだったり、ネット上の話題だったり、何かしら熱狂的に話し込んでいる。その中になぜかうまく加われない自分がいた。
自分がおかしいのか? それとも周りが……?
教室には空いた席がひとつあった。三日前から空いたままのその席を気にするものはひとりもいなかった。
「ねえねえ、ちょっといいかな?」
カナコが空いた席のことを聞こうと思ったその時、チャイムが鳴り先生が教室に入ってきた。カナコの言葉はさえぎられてしまった。
先生が出席を取り始め、生徒は順番に返事をする。しかし、空いた席の生徒の名前は呼ばれなかった。なぜいないのかさえも説明がない。三日前からそうだ。
なぜ誰も指摘しないのだろう? なぜ誰も気づかないのだろう?
たまりかねたカナコは立ち上がった。
「先生、弓原さんはなぜ学校を休んでいるんですか?」
教室がしんと静まり返った。なんだか不穏な空気だ。
「弓原さん?」
中年の男性担任が聞き返してきた。眼鏡をかけなおす仕草をしてもう一度聞き返す。
「弓原さんとは誰ですか?」
気の弱い中年教師は、カナコの剣幕に少し押されぎみに声が小刻みに震えている。
「は!? 弓原イクミさんですよ! 図書委員で、吹奏楽部の!」
カナコはつい声を荒げた。先生がとぼけたり、冗談を言ってるようには思えなかったが、何かおかしい。
教室中がどよめきだした。何かおかしい。
「弓原さんとは誰ですか?」
中年教師は教壇の上で震えてるんじゃないかと思えるくらい、弱々しい声で同じ言葉を繰り返した。
「いえ、なんでもありません……」
カナコは空気が抜けたみたいにイスに座り込んだ。顔が真っ赤になるくらい恥ずかしかった。なんなのだろう? この違和感は?
「ねえねえカナコ、誰それ? 弓原イクミって?」
後ろの席のフミが小声でささやきかけてきた。軽く笑っている所をみると、カナコが何かのギャグでもやったかのように思っているらしい。見ればクラス中の生徒がカナコを注目して、笑ったりささやきあったりしている。
「ねえ、ホントにイクミのこと知らないの?」
カナコはフミにたずね返した。つい四日前まで一緒のグループで仲良くしていた仲間なのだ。
「だから、イクミって誰よ?」
カナコはこの場から逃げ出したい気分だった。
自分がおかしいのか? それとも周りがおかしいのか? どっちなのか?
クラスでただひとり、国崎キョウコだけがじっと真顔でカナコのことを見つめていた。
世界のしくみ(1)
カナコは夕飯の後、いつもの習慣でテレビを見ていた。
別に見たい番組があるわけでもないし、特に面白いと思ってるわけでもなかったが、なぜかテレビを見なくてはいけないという気持ちになって、つい見てしまうのだった。
リビングに備え付けられた大型のスクリーンには、バラエティ番組が映し出されていた。お笑い芸人たちが、面白いのか面白くないのか分からない芸を見せている。
いや、面白いのだろう。二人掛けのソファのカナコの横ではカナコのママが大口を開けて大笑いをしていた。斜め前のひとり掛けのソファに座るパパも、大口こそ開けていなかったが、クスクスとこらえるような笑いをしている。
親子三人そろってリビングでの団らん風景だ。
ひと昔前ならば、まだママは夕飯の後片付けに追われていて、まだこの団らんの中に加われなかっただろうが、今は違う。
食料が配給制度になり、三度三度の食事が全て自動で各家庭に配られるようになってからというもの、食事の準備や後片付けは必要なくなったのだ。専用の食器がトレイに並べられ、各家庭に配られることで、主婦の負担はずいぶんと減った。食べ終わった食器は、専用のBOXに入れておけば自動的に回収してくれる。
この食糧配給制度は、献立のメニュー決定から調理、各家庭への流通までをすべてコンピューターが一括管理することで、全てを無駄なく処理していた。
いまや食料だけでなく、あらゆる場所でこのコンピューターによる管理が行き届くようになり、人間の負担はほとんど無いに等しかった。
実際、働かなくても良かった。労働は自由となり、働きたい人が、やりたいことだけをすればよかった。
「カナコ。宿題すんだの? 早くやってしまいなさい」
ただし、労働の束縛からは解放されても、教育からは解放されていなかった。子供は今も昔も学校に縛り付けられていたのだった。
「ふぁい」
カナコは気の抜けた返事をした。
ママにリビングを追い出され、自室に戻ったカナコは携帯端末の画面を開いた。テレビはリビングだけでなく、ここでも見られるのだ。ママは宿題をしなさいとは言ったが、テレビを見てはいけないとは言っていないのだ。
多機能かつ高機能の携帯端末は、いまや全国民が所有する生活必需品となっていた。
バラエティ番組はすでに終了しており、今はニュースを流していた。
各地で行われた祭事や行事ごと、スポーツの結果、経済の難しい話し、遠い外国でのできごと……。それらはカナコにとってすべて他人事のように見えた。自分とは関係のない世界の出来事のようで、全然リアリティが無かった。
そしていつもカナコは不思議に思うのだが、犯罪事件のニュースというものがほとんど流れなくなっていた。本当に事件の類は起きていないのだろうか? いつも不思議なのだ。ひょっとしたら、犯罪事件はニュースで流さないようにと、誰かがストップでもかけているのだろうか?
カナコはベッドに入り、芸能ニュースのチャンネルに替えた。
そこでは、どの芸能人が熱愛発覚しただの、離婚しただのといったインパクトのあるニュースが大きく報じられていた。他には誰がどんな活動を開始しただとか、どんな新人がデビューしただとか、どのお笑い芸人が新ネタを披露しただとか……。
やはりそれら芸能ニュースも、カナコにとってどこか別世界の出来事のように感じられていた。世間一般のニュースに比べればまだ興味がわかないこともないが、自分の手の届かない存在に感じられて、本当にニュースで言っているようなことが起きているのだろうか? と不思議に感じられているのだった。
でも、いくら自分から遠い存在であっても、無限とも思えるニュースの数々はカナコをひきつけてやまなかった。深夜になってもカナコはずっと芸能ニュースを見続け、いつしか眠りに落ちていった。
別に見たい番組があるわけでもないし、特に面白いと思ってるわけでもなかったが、なぜかテレビを見なくてはいけないという気持ちになって、つい見てしまうのだった。
リビングに備え付けられた大型のスクリーンには、バラエティ番組が映し出されていた。お笑い芸人たちが、面白いのか面白くないのか分からない芸を見せている。
いや、面白いのだろう。二人掛けのソファのカナコの横ではカナコのママが大口を開けて大笑いをしていた。斜め前のひとり掛けのソファに座るパパも、大口こそ開けていなかったが、クスクスとこらえるような笑いをしている。
親子三人そろってリビングでの団らん風景だ。
ひと昔前ならば、まだママは夕飯の後片付けに追われていて、まだこの団らんの中に加われなかっただろうが、今は違う。
食料が配給制度になり、三度三度の食事が全て自動で各家庭に配られるようになってからというもの、食事の準備や後片付けは必要なくなったのだ。専用の食器がトレイに並べられ、各家庭に配られることで、主婦の負担はずいぶんと減った。食べ終わった食器は、専用のBOXに入れておけば自動的に回収してくれる。
この食糧配給制度は、献立のメニュー決定から調理、各家庭への流通までをすべてコンピューターが一括管理することで、全てを無駄なく処理していた。
いまや食料だけでなく、あらゆる場所でこのコンピューターによる管理が行き届くようになり、人間の負担はほとんど無いに等しかった。
実際、働かなくても良かった。労働は自由となり、働きたい人が、やりたいことだけをすればよかった。
「カナコ。宿題すんだの? 早くやってしまいなさい」
ただし、労働の束縛からは解放されても、教育からは解放されていなかった。子供は今も昔も学校に縛り付けられていたのだった。
「ふぁい」
カナコは気の抜けた返事をした。
ママにリビングを追い出され、自室に戻ったカナコは携帯端末の画面を開いた。テレビはリビングだけでなく、ここでも見られるのだ。ママは宿題をしなさいとは言ったが、テレビを見てはいけないとは言っていないのだ。
多機能かつ高機能の携帯端末は、いまや全国民が所有する生活必需品となっていた。
バラエティ番組はすでに終了しており、今はニュースを流していた。
各地で行われた祭事や行事ごと、スポーツの結果、経済の難しい話し、遠い外国でのできごと……。それらはカナコにとってすべて他人事のように見えた。自分とは関係のない世界の出来事のようで、全然リアリティが無かった。
そしていつもカナコは不思議に思うのだが、犯罪事件のニュースというものがほとんど流れなくなっていた。本当に事件の類は起きていないのだろうか? いつも不思議なのだ。ひょっとしたら、犯罪事件はニュースで流さないようにと、誰かがストップでもかけているのだろうか?
カナコはベッドに入り、芸能ニュースのチャンネルに替えた。
そこでは、どの芸能人が熱愛発覚しただの、離婚しただのといったインパクトのあるニュースが大きく報じられていた。他には誰がどんな活動を開始しただとか、どんな新人がデビューしただとか、どのお笑い芸人が新ネタを披露しただとか……。
やはりそれら芸能ニュースも、カナコにとってどこか別世界の出来事のように感じられていた。世間一般のニュースに比べればまだ興味がわかないこともないが、自分の手の届かない存在に感じられて、本当にニュースで言っているようなことが起きているのだろうか? と不思議に感じられているのだった。
でも、いくら自分から遠い存在であっても、無限とも思えるニュースの数々はカナコをひきつけてやまなかった。深夜になってもカナコはずっと芸能ニュースを見続け、いつしか眠りに落ちていった。
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