マカゼタマハの世界
わたくし真風玉葉(マカゼタマハ)のオリジナル小説を掲載していきます。 左のカテゴリより作品を選んでお読みください。
| HOME |
作品投稿
短編「銀杏坂」を掲載しました。
原稿用紙、約25ページほどの長さとなっています。
全7部構成となっています。左側のカテゴリーより選んでお読みくださいませ♪
原稿用紙、約25ページほどの長さとなっています。
全7部構成となっています。左側のカテゴリーより選んでお読みくださいませ♪
銀杏坂(7)
朝。どこの家庭も同じく迎える朝食の時間。高橋伸治の家庭は母とふたりきりで迎える朝食の時間だった。
いつもと同じく、伸治は朝食をとりながらバイクの雑誌を読み、キッチンの前では母の翔子が身支度を整えながら朝食を取っていた。
ただいつもと違うのは、伸治は母に対してある種の気まずさを覚えていた。
それは、父親がなくなった真実を教えてくれなかったことに対する不信感もあったが、それ以上に実の息子にも明かすことなく父親の死を自分ひとりで胸に秘めていたことに対する敬意の思いだった。
ここに来るまでに、長くつらい道のりだったと思われる。
被害者の遺族と示談金、近所の目、親戚の目、全部自分ひとりで背負ってきていたのだ。そしてもちろん一家の大黒柱として、自分をちゃんと育ててきた。事実を知らなかったとはいえ、伸治は今までの自分はあまりに母親に対してわがままだったと反省していた。
「なあ、俺さあ、高校になったらバイト始めるから」
「うん? 前からそのつもりだったでしょ?」
翔子は身支度の手を止めた。
「バイトは始めるけど、バイクは買わないから。おふくろの少ない稼ぎに少しでもプラスしてやろうと思ってさ」
「バカいってんじゃないよ。あんたの世話にならなくたって、なんとかやりくりできるんだから。今までできてたんだから、これからもできるわよ」
なぜだか分からないが翔子は急に怒りはじめた。
「まあ、バイク乗るのは社会人になってからでも遅くはないからさ。この家にやっかいになってる間は、俺の生活費くらいは納めようと思ってね」
「生意気言ってえ。あんたあんなにバイク乗りたがってたのに、どうして急にそんなこというのさ。怪しい。何かたくらんでるな」
「何もないよ。それに俺がバイク乗るの反対してたの、おふくろだろ。しばらくはバイク乗らないって言ったんだから、少しは喜べよ」
せっかくの親切心で言ってやってるのに、素直じゃない母親の反応に、伸治はだんだん腹が立ってきた。
「あ、いっけね、もうこんな時間だ。いってきまーす」
伸治は時計を見るなり大声を上げた。急いでカバンをつかむと母親を無視するように家を飛び出した。
「ちょっと伸治」
勢いよく飛び出していった息子の背中に向かって、翔子は叫ぶように言った。伸治は聞こえているのかいないのか、返事はなかった。翔子はあきれるようにため息をついた。
テーブルの上に置きっぱなしになっているオートバイの雑誌を手に取ると、翔子の表情は少し穏やかになった。そして仏壇で微笑む亡き夫に祈るように手を合わせた。
<終>
いつもと同じく、伸治は朝食をとりながらバイクの雑誌を読み、キッチンの前では母の翔子が身支度を整えながら朝食を取っていた。
ただいつもと違うのは、伸治は母に対してある種の気まずさを覚えていた。
それは、父親がなくなった真実を教えてくれなかったことに対する不信感もあったが、それ以上に実の息子にも明かすことなく父親の死を自分ひとりで胸に秘めていたことに対する敬意の思いだった。
ここに来るまでに、長くつらい道のりだったと思われる。
被害者の遺族と示談金、近所の目、親戚の目、全部自分ひとりで背負ってきていたのだ。そしてもちろん一家の大黒柱として、自分をちゃんと育ててきた。事実を知らなかったとはいえ、伸治は今までの自分はあまりに母親に対してわがままだったと反省していた。
「なあ、俺さあ、高校になったらバイト始めるから」
「うん? 前からそのつもりだったでしょ?」
翔子は身支度の手を止めた。
「バイトは始めるけど、バイクは買わないから。おふくろの少ない稼ぎに少しでもプラスしてやろうと思ってさ」
「バカいってんじゃないよ。あんたの世話にならなくたって、なんとかやりくりできるんだから。今までできてたんだから、これからもできるわよ」
なぜだか分からないが翔子は急に怒りはじめた。
「まあ、バイク乗るのは社会人になってからでも遅くはないからさ。この家にやっかいになってる間は、俺の生活費くらいは納めようと思ってね」
「生意気言ってえ。あんたあんなにバイク乗りたがってたのに、どうして急にそんなこというのさ。怪しい。何かたくらんでるな」
「何もないよ。それに俺がバイク乗るの反対してたの、おふくろだろ。しばらくはバイク乗らないって言ったんだから、少しは喜べよ」
せっかくの親切心で言ってやってるのに、素直じゃない母親の反応に、伸治はだんだん腹が立ってきた。
「あ、いっけね、もうこんな時間だ。いってきまーす」
伸治は時計を見るなり大声を上げた。急いでカバンをつかむと母親を無視するように家を飛び出した。
「ちょっと伸治」
勢いよく飛び出していった息子の背中に向かって、翔子は叫ぶように言った。伸治は聞こえているのかいないのか、返事はなかった。翔子はあきれるようにため息をついた。
テーブルの上に置きっぱなしになっているオートバイの雑誌を手に取ると、翔子の表情は少し穏やかになった。そして仏壇で微笑む亡き夫に祈るように手を合わせた。
<終>
銀杏坂(6)
「高橋君、何をしているのこんな所で」
遠くから自分を呼びかける声に、伸治はグイっと肩をつかまれて引き戻される錯覚を起こした。すると目の前の光景が一変した。
雨降りの事故現場ではなく、ここはとっぷりと日の暮れた銀杏坂だった。さみしい坂道の中で、街灯の光がぽつんと灯っている。
「ちょっとどうしたの? 大丈夫? 目がうつろだよ?」
聞き覚えのある声に、伸治は振り返った。そこには委員長の石川美由紀がいた。伸治の顔を心配そうにのぞき込んでいる。
「オヤジの……」
伸治は何か言いたかったが、これだけ言うのが精一杯だった。
「ああ、そういえば今日は高橋君のお父さんの命日ね。それでこの場所に来てたのね。事故からずいぶんたつけど、まるでついこの間のようね。わたしあの日のことは今でもはっきり覚えているわ。雨降りの日だった……」
つぶやくような美由紀の言葉に、伸治は顔を上げた。そう、彼女は事故現場の一番近くにいたのだ。そして彼女の姉は……。
「お前のお姉さんは……」
「そうね、今日は姉の命日でもあるわ。もしかして、姉の分もお祈りしてくれてたの? ありがとうね。わたしも家帰ったら、お花供えようと思っていたところよ。今学校帰りだから」
そう言うと美由紀はカバンを持ち上げて伸治に見せた。
「もちろんあなたのお父さんの分もお花供えるつもりよ」
美由紀は屈託のない笑顔で言ってのけた。伸治にとってそのひとことはとてつもなく重く聞こえた。
「もしかして毎年俺のオヤジにも花を?」
「ええ、そうよ」
「だって、お前には関係ない……。オヤジは加害者なのに」
「関係あるわよ。確かに姉はあの日の事故で死んだけど、あなたのお父さんだって大変なことに……。それ以上にあなたのお母さんや、あなた自身だって大変だったでしょう? 事故で家族を亡くしたのもつらいけど、あんな亡くなりかたをする方がもっとつらいでしょう? だから、わたしよりも高橋君の方がえらいと思うわ。いつも明るくふるまっていて。だからわたしも高橋君を見習って、暗くならないでいようと決めたのよ」
伸治は首を振りたい気分だった。知らなかったのだ。父親があんな死に方をしていたなんて、ついさっきまで知らなかったのだ。そして、美由紀が事実を知っていて、真実を知らないのが自分ひとりだけだったのもショックだった。きっと母親が、わざと知らせなかったのだろう。
「それにね。わたくしが今ここにこうして生きていることにすごく感謝しているの。だって、あの日、わたしと姉のどっちが事故にあっていても不思議じゃなかった。もしかしたらふたりとも事故にあっていたかもしれないわ。だから、わたしだけが生きているのはちゃんと意味があると思ってるの。だから、姉やあなたのお父さんのことは絶対に忘れないつもりよ」
伸治は泣きそうだった。もしも、美由紀と立場が逆だったら自分はどうしていただろうか?
美由紀の親が、自分の家族を事故で死なせてしまったと仮定して、果たして自分は美由紀に対してこんな接し方は出来ていただろうか?
伸治は美由紀に対する見方がまったく変わってしまっていた。
遠くから自分を呼びかける声に、伸治はグイっと肩をつかまれて引き戻される錯覚を起こした。すると目の前の光景が一変した。
雨降りの事故現場ではなく、ここはとっぷりと日の暮れた銀杏坂だった。さみしい坂道の中で、街灯の光がぽつんと灯っている。
「ちょっとどうしたの? 大丈夫? 目がうつろだよ?」
聞き覚えのある声に、伸治は振り返った。そこには委員長の石川美由紀がいた。伸治の顔を心配そうにのぞき込んでいる。
「オヤジの……」
伸治は何か言いたかったが、これだけ言うのが精一杯だった。
「ああ、そういえば今日は高橋君のお父さんの命日ね。それでこの場所に来てたのね。事故からずいぶんたつけど、まるでついこの間のようね。わたしあの日のことは今でもはっきり覚えているわ。雨降りの日だった……」
つぶやくような美由紀の言葉に、伸治は顔を上げた。そう、彼女は事故現場の一番近くにいたのだ。そして彼女の姉は……。
「お前のお姉さんは……」
「そうね、今日は姉の命日でもあるわ。もしかして、姉の分もお祈りしてくれてたの? ありがとうね。わたしも家帰ったら、お花供えようと思っていたところよ。今学校帰りだから」
そう言うと美由紀はカバンを持ち上げて伸治に見せた。
「もちろんあなたのお父さんの分もお花供えるつもりよ」
美由紀は屈託のない笑顔で言ってのけた。伸治にとってそのひとことはとてつもなく重く聞こえた。
「もしかして毎年俺のオヤジにも花を?」
「ええ、そうよ」
「だって、お前には関係ない……。オヤジは加害者なのに」
「関係あるわよ。確かに姉はあの日の事故で死んだけど、あなたのお父さんだって大変なことに……。それ以上にあなたのお母さんや、あなた自身だって大変だったでしょう? 事故で家族を亡くしたのもつらいけど、あんな亡くなりかたをする方がもっとつらいでしょう? だから、わたしよりも高橋君の方がえらいと思うわ。いつも明るくふるまっていて。だからわたしも高橋君を見習って、暗くならないでいようと決めたのよ」
伸治は首を振りたい気分だった。知らなかったのだ。父親があんな死に方をしていたなんて、ついさっきまで知らなかったのだ。そして、美由紀が事実を知っていて、真実を知らないのが自分ひとりだけだったのもショックだった。きっと母親が、わざと知らせなかったのだろう。
「それにね。わたくしが今ここにこうして生きていることにすごく感謝しているの。だって、あの日、わたしと姉のどっちが事故にあっていても不思議じゃなかった。もしかしたらふたりとも事故にあっていたかもしれないわ。だから、わたしだけが生きているのはちゃんと意味があると思ってるの。だから、姉やあなたのお父さんのことは絶対に忘れないつもりよ」
伸治は泣きそうだった。もしも、美由紀と立場が逆だったら自分はどうしていただろうか?
美由紀の親が、自分の家族を事故で死なせてしまったと仮定して、果たして自分は美由紀に対してこんな接し方は出来ていただろうか?
伸治は美由紀に対する見方がまったく変わってしまっていた。
銀杏坂(5)
女の子の声が合図であったかのように、いきなり伸治の目の前の光景が一変した。
さっきまで雨なんて降っていなかったのに、しとしとと霧雨が降りだしていたし、時刻も逆回しされたみたいに、日が高くなり少し辺りが明るくなった。
辺りの情景の変わりように戸惑っている伸治のすぐ目の前を、一台のタクシーが通り過ぎた。
銀杏坂を登っていくということは、行く先は総合病院しかない。
伸治はそのタクシーの後部座席に母親の姿を見た。髪を伸ばしていて、かなり印象は違っていたが、見間違えようがなかった。顔つきも幾分雰囲気が異なっていて、まるで若い頃の姿を見ているようでもあった。
その母親と一緒にタクシーに乗っていたのは、小学校低学年くらいの男の子だった。まさしくそれは伸治自身だった。伸治はどういうわけか、自分の幼い頃の姿を客観的に見ていた。伸治は頭が混乱しそうだった。
母親と幼い伸治を乗せたタクシーは、坂を登りきると病院内へと入っていった。
ふと伸治は思い出した。
−−自分は幼い頃心臓が弱くて、たびたび発作を起こしては総合病院に運ばれていたっけ。
ひとつ思い出すとその当時の記憶があふれるようにわき出してきた。
−−病院に運ばれると、必ずオヤジが仕事を早退して、病室までかけつけてくれたっけ。発作の苦しさもオヤジの顔を見たらやわらいだものだっけ。
昔の思い出に浸っている伸治は、ふと辺りが少し暗くなっているのに気がついた。どれくらいの間ぼんやりしていたのだろう? いきなり時間がすぎてしまったみたいだった。雨の少し振りが激しくなってきたみたいだった。
坂の上のほうから、二人連れの女の子が降りてきた。小学校低学年、ちょうど先ほど見た幼い伸治と同じ年の頃の女の子が、雨の降る中カッパを着てこちらに向かってきていた。まるで双子のようにそっくりな顔立ちをしているこのふたりは、きっと姉妹に違いなかった。仲良く手をつないで、おそろいのカッパを着ている姿はまるで鏡写しだった。
伸治はその二人連れの女の子に見覚えがあった。
−−どこで見たっけ? あ、そうだ病院だ。このふたりは病院の院長の孫娘だ。何度か病院であったことがある。そっくりな顔をしているけど、どっちかが姉でどっちかが妹のはずだ。で、妹と同い年のはずだ。待てよ、病院の院長の孫で俺と同級生ということは……
その時、遠くの方から甲高い独特の排気音が轟いた。
ものすごいスピードでこちらへ向かってくるその排気音の主は、レーサーレプリカのバイクだった。雨で濡れた路面に全く構うことなく、ドライな路面と同じように攻めの姿勢で走っている。銀杏坂のカーブでは、コースの内側に向かって思い切り体重をかけて傾けてコーナーを曲がろうとしている。まるでレースのような走りだ。
だが、そのバイクはコーナーを曲がりきるには、あまりにオーバースピードだった。加えて路面は濡れている。
無数の金属部品がアスファルトをかきむしる音が響き渡った。制御を失った二輪の固まりは、そのままコーナーの外側にものすごいスピードで滑っていく。コースアウトした金属の塊は、ちょうど通りがかった女の子めがけて突っこんでいき、道の壁のブロックに衝突してやっと止まった。一瞬遅れて、ライダーが大破したバイクにぶつかった。
全ては一瞬の内に終わった。その一部始終を目の前で見ていた伸治は、何もすることができなかった。
−−そういえばあの日。オヤジが事故で死んだという知らせは、病院でおふくろから聞いた覚えがある。そうあの日はちょうどこんな雨の日だったっけ。
のろのろとゆっくりとした動きでライダーが立ち上がった。脳しんとうでも起こしているのか、足元がおぼつかない。
ライダーはヘルメットを取った。
伸治は目を見張った。ライダーが亡き父であり、プロレーサーの高橋健だったからだ。その獲物を狙う鷹のような鋭い顔つきは、写真や記憶中のままだったが、事故を起こした直後の健はまるで精彩を欠いていた。オロオロと迷子の子供のように右往左往している。
すぐ目の前に泣き叫んでいる女の子がいる。紙一重の差で無傷のようだ。健はその鳴き声でわれに返り、急いで坂をかけ上がり、病院へ知らせに行った。
しばらくすると病院からたくさんの人が出てきた。医師、看護士、患者とその付添い人等など……。遠くからはパトカーのサイレンも聞こえてきた。事故現場は雨が降る中にもかかわらず、大勢の人でごった返していた。
その様子を坂の上から健は見つめていた。自分が犯してしまったことの重大さが、後から後からわきあがってくる。単に事故を起こしただけではない。自分はプロのバイクレーサーなのである。それなのに。しかも自損事故などではないのだ。
健はめまいを起こし、銀杏の樹に倒れ掛かった。見ればすぐ頭の上に太くて大きな枝が伸びている。まだ脳しんとうの影響があるようだ。ぼんやりする頭の中で、犯した罪の重さに押しつぶされそうになる自分が、とてもみじめに思えた。
健はのろのろとゆっくりとした動きでズボンのベルトを外すと、銀杏の樹の枝にかけ、自らの首をそこに吊り下げた。
伸治は、坂の上の銀杏の樹の枝にぶら下がる黒い影を見た。
−−違う! これは違う! 俺の知りたかったことはこんなのじゃない! これはウソだ! 何かの間違いだ!
伸治はその場に泣き崩れた。
さっきまで雨なんて降っていなかったのに、しとしとと霧雨が降りだしていたし、時刻も逆回しされたみたいに、日が高くなり少し辺りが明るくなった。
辺りの情景の変わりように戸惑っている伸治のすぐ目の前を、一台のタクシーが通り過ぎた。
銀杏坂を登っていくということは、行く先は総合病院しかない。
伸治はそのタクシーの後部座席に母親の姿を見た。髪を伸ばしていて、かなり印象は違っていたが、見間違えようがなかった。顔つきも幾分雰囲気が異なっていて、まるで若い頃の姿を見ているようでもあった。
その母親と一緒にタクシーに乗っていたのは、小学校低学年くらいの男の子だった。まさしくそれは伸治自身だった。伸治はどういうわけか、自分の幼い頃の姿を客観的に見ていた。伸治は頭が混乱しそうだった。
母親と幼い伸治を乗せたタクシーは、坂を登りきると病院内へと入っていった。
ふと伸治は思い出した。
−−自分は幼い頃心臓が弱くて、たびたび発作を起こしては総合病院に運ばれていたっけ。
ひとつ思い出すとその当時の記憶があふれるようにわき出してきた。
−−病院に運ばれると、必ずオヤジが仕事を早退して、病室までかけつけてくれたっけ。発作の苦しさもオヤジの顔を見たらやわらいだものだっけ。
昔の思い出に浸っている伸治は、ふと辺りが少し暗くなっているのに気がついた。どれくらいの間ぼんやりしていたのだろう? いきなり時間がすぎてしまったみたいだった。雨の少し振りが激しくなってきたみたいだった。
坂の上のほうから、二人連れの女の子が降りてきた。小学校低学年、ちょうど先ほど見た幼い伸治と同じ年の頃の女の子が、雨の降る中カッパを着てこちらに向かってきていた。まるで双子のようにそっくりな顔立ちをしているこのふたりは、きっと姉妹に違いなかった。仲良く手をつないで、おそろいのカッパを着ている姿はまるで鏡写しだった。
伸治はその二人連れの女の子に見覚えがあった。
−−どこで見たっけ? あ、そうだ病院だ。このふたりは病院の院長の孫娘だ。何度か病院であったことがある。そっくりな顔をしているけど、どっちかが姉でどっちかが妹のはずだ。で、妹と同い年のはずだ。待てよ、病院の院長の孫で俺と同級生ということは……
その時、遠くの方から甲高い独特の排気音が轟いた。
ものすごいスピードでこちらへ向かってくるその排気音の主は、レーサーレプリカのバイクだった。雨で濡れた路面に全く構うことなく、ドライな路面と同じように攻めの姿勢で走っている。銀杏坂のカーブでは、コースの内側に向かって思い切り体重をかけて傾けてコーナーを曲がろうとしている。まるでレースのような走りだ。
だが、そのバイクはコーナーを曲がりきるには、あまりにオーバースピードだった。加えて路面は濡れている。
無数の金属部品がアスファルトをかきむしる音が響き渡った。制御を失った二輪の固まりは、そのままコーナーの外側にものすごいスピードで滑っていく。コースアウトした金属の塊は、ちょうど通りがかった女の子めがけて突っこんでいき、道の壁のブロックに衝突してやっと止まった。一瞬遅れて、ライダーが大破したバイクにぶつかった。
全ては一瞬の内に終わった。その一部始終を目の前で見ていた伸治は、何もすることができなかった。
−−そういえばあの日。オヤジが事故で死んだという知らせは、病院でおふくろから聞いた覚えがある。そうあの日はちょうどこんな雨の日だったっけ。
のろのろとゆっくりとした動きでライダーが立ち上がった。脳しんとうでも起こしているのか、足元がおぼつかない。
ライダーはヘルメットを取った。
伸治は目を見張った。ライダーが亡き父であり、プロレーサーの高橋健だったからだ。その獲物を狙う鷹のような鋭い顔つきは、写真や記憶中のままだったが、事故を起こした直後の健はまるで精彩を欠いていた。オロオロと迷子の子供のように右往左往している。
すぐ目の前に泣き叫んでいる女の子がいる。紙一重の差で無傷のようだ。健はその鳴き声でわれに返り、急いで坂をかけ上がり、病院へ知らせに行った。
しばらくすると病院からたくさんの人が出てきた。医師、看護士、患者とその付添い人等など……。遠くからはパトカーのサイレンも聞こえてきた。事故現場は雨が降る中にもかかわらず、大勢の人でごった返していた。
その様子を坂の上から健は見つめていた。自分が犯してしまったことの重大さが、後から後からわきあがってくる。単に事故を起こしただけではない。自分はプロのバイクレーサーなのである。それなのに。しかも自損事故などではないのだ。
健はめまいを起こし、銀杏の樹に倒れ掛かった。見ればすぐ頭の上に太くて大きな枝が伸びている。まだ脳しんとうの影響があるようだ。ぼんやりする頭の中で、犯した罪の重さに押しつぶされそうになる自分が、とてもみじめに思えた。
健はのろのろとゆっくりとした動きでズボンのベルトを外すと、銀杏の樹の枝にかけ、自らの首をそこに吊り下げた。
伸治は、坂の上の銀杏の樹の枝にぶら下がる黒い影を見た。
−−違う! これは違う! 俺の知りたかったことはこんなのじゃない! これはウソだ! 何かの間違いだ!
伸治はその場に泣き崩れた。
銀杏坂(4)
昼間での日陰で薄気味悪い銀杏坂は、夕刻ともなればさらに不気味さを増していた。
下校途中、伸治と清は銀杏坂の登り口に立っていた。
登り口までであれば、ふたりの通学路であるから普段から通っている場所なのだが、一歩坂道に踏み込めばそこはもう異世界だった。坂の上の総合病院を行き来する人たちも、どこか異性回の住人じみて見えるから不思議である。
この銀杏坂がどこか薄気味悪いのは、病院への坂道であることもひと役買っているようである。古くて、これまた不気味な総合病院自体が、どこか魔物の巣窟を連想させるので、坂の登り口も魔界への入り口じみて見える効果を生んでいるところがある。もっとも、毎日ここを通って病院に出勤する職員からすれば、いい迷惑なのだが。
「やっぱりおっかないよ。この時間の幽霊坂は。ホントに出そうなんだもん」
坂の入り口に来るなり、清は情けない声を出した。普段から清はこの坂の前を通る時は、自然と早足になるくらい、この場所を忌み嫌っていた。
めっきり日が短くなった秋空は、あっという間に辺りを真っ暗に染め上げる。冷たい秋風が銀杏並木を揺らし、あたりをざわざわと葉ずれの音でいっぱいにした。調子の悪い街灯は、ついたり消えたりを繰り返している。
伸治は寒さと怖さで震えている清に構わず坂を登りだした。坂の入り口に取り残された清は、あわてて伸治の後を追いかけた。
「待てよ。ひとりにするなよ。怖いじゃないか。ホントにここには幽霊が出るって噂が。この間だって、3組の三好が病院帰りに見たって言ってたし……」
ずんずん坂を登る伸治は、大きく右にカーブする道の外側の頂点で足を止めた。
銀杏坂は道の両側をがけに挟まれているが、地すべり防止のためのブロックがすべてのがけを埋め尽くして幾何学模様を作っていた。
「ここで俺のオヤジは死んだんだ」
やっと伸治が口を開いた。伸治が立ち止まった場所のブロックだけ、他のブロックとは違う種類の模様のブロックになっていた。ここだけ後から違うブロックを埋め込まれた形跡がある。
「九年前の今日。オヤジはこの坂をバイクで走っていて、このカーブを曲がりきれずに、この壁にぶつかって亡くなったんだ。ここのブロックはその時の事故で割れたんで、後から改修されたそうだ」
「オヤジさんプロのレーサーだったんだろ? なんでこんなカーブで……」
清は坂道のカーブ全体をみながらつぶやいた。特に急なカーブとは思えない、どこにでもあるカーブだったからだ。もしこの緩やかなカーブを曲がりきれずに事故を起こしたのであれば、それはよほどスピードを出していたか、前をよく見ていなかったということになる。
「俺はその真相が知りたいんだ。オヤジの運転は完璧なんだ。いつもレースで俺に予告してくれたとおりに勝ってくれてたし。絶対事故を起こすはずがないんだ」
伸治は父親が公道の交通事故で命を落としたことが今でも信じられないでいた。
「おじさんはここで死んだんじゃないわ」
いつの間にか伸治と清の前に見知らぬ小さな女の子が立っていた。雨も降っていないのに、カッパを着ている。
「おじさんはあそこで死んだのよ」
女の子はそう訂正すると、坂の上の方を指差した。坂の上に向かって銀杏並木が立ち並び、風にあおられてざわざわ揺れている。さらにその先には病院の建物が見えている。
伸治は、この女の子に見覚えがあった。ずっと以前、会ったような気がするのだが思い出せない。
もう一度、女の子の指差す銀杏の樹を見ると、枝から何かがぶら下がっているように見えた。風にあおられて揺れるその何かは、夕闇で形がはっきり分からない。
「この場所はね。あたしが死んだ場所なの」
「え? なんだって??」
伸治と清が同時に聞き返していた。
下校途中、伸治と清は銀杏坂の登り口に立っていた。
登り口までであれば、ふたりの通学路であるから普段から通っている場所なのだが、一歩坂道に踏み込めばそこはもう異世界だった。坂の上の総合病院を行き来する人たちも、どこか異性回の住人じみて見えるから不思議である。
この銀杏坂がどこか薄気味悪いのは、病院への坂道であることもひと役買っているようである。古くて、これまた不気味な総合病院自体が、どこか魔物の巣窟を連想させるので、坂の登り口も魔界への入り口じみて見える効果を生んでいるところがある。もっとも、毎日ここを通って病院に出勤する職員からすれば、いい迷惑なのだが。
「やっぱりおっかないよ。この時間の幽霊坂は。ホントに出そうなんだもん」
坂の入り口に来るなり、清は情けない声を出した。普段から清はこの坂の前を通る時は、自然と早足になるくらい、この場所を忌み嫌っていた。
めっきり日が短くなった秋空は、あっという間に辺りを真っ暗に染め上げる。冷たい秋風が銀杏並木を揺らし、あたりをざわざわと葉ずれの音でいっぱいにした。調子の悪い街灯は、ついたり消えたりを繰り返している。
伸治は寒さと怖さで震えている清に構わず坂を登りだした。坂の入り口に取り残された清は、あわてて伸治の後を追いかけた。
「待てよ。ひとりにするなよ。怖いじゃないか。ホントにここには幽霊が出るって噂が。この間だって、3組の三好が病院帰りに見たって言ってたし……」
ずんずん坂を登る伸治は、大きく右にカーブする道の外側の頂点で足を止めた。
銀杏坂は道の両側をがけに挟まれているが、地すべり防止のためのブロックがすべてのがけを埋め尽くして幾何学模様を作っていた。
「ここで俺のオヤジは死んだんだ」
やっと伸治が口を開いた。伸治が立ち止まった場所のブロックだけ、他のブロックとは違う種類の模様のブロックになっていた。ここだけ後から違うブロックを埋め込まれた形跡がある。
「九年前の今日。オヤジはこの坂をバイクで走っていて、このカーブを曲がりきれずに、この壁にぶつかって亡くなったんだ。ここのブロックはその時の事故で割れたんで、後から改修されたそうだ」
「オヤジさんプロのレーサーだったんだろ? なんでこんなカーブで……」
清は坂道のカーブ全体をみながらつぶやいた。特に急なカーブとは思えない、どこにでもあるカーブだったからだ。もしこの緩やかなカーブを曲がりきれずに事故を起こしたのであれば、それはよほどスピードを出していたか、前をよく見ていなかったということになる。
「俺はその真相が知りたいんだ。オヤジの運転は完璧なんだ。いつもレースで俺に予告してくれたとおりに勝ってくれてたし。絶対事故を起こすはずがないんだ」
伸治は父親が公道の交通事故で命を落としたことが今でも信じられないでいた。
「おじさんはここで死んだんじゃないわ」
いつの間にか伸治と清の前に見知らぬ小さな女の子が立っていた。雨も降っていないのに、カッパを着ている。
「おじさんはあそこで死んだのよ」
女の子はそう訂正すると、坂の上の方を指差した。坂の上に向かって銀杏並木が立ち並び、風にあおられてざわざわ揺れている。さらにその先には病院の建物が見えている。
伸治は、この女の子に見覚えがあった。ずっと以前、会ったような気がするのだが思い出せない。
もう一度、女の子の指差す銀杏の樹を見ると、枝から何かがぶら下がっているように見えた。風にあおられて揺れるその何かは、夕闇で形がはっきり分からない。
「この場所はね。あたしが死んだ場所なの」
「え? なんだって??」
伸治と清が同時に聞き返していた。
銀杏坂(3)
授業中。
伸治はまじめに勉強にはげむことなく、ノートに落書きをしていた。
落書きといっても伸治にとっては真剣で、新型のバイクのデザインの気に入らない所を伸治なりに改良を加えた案を必死に書き起こしていた。当然先生の話は聞こえるはずもない。
何度も描いては消しを繰り返し、完成した新型バイクの案を前の席に座っている田中清に渡した。
一方まじめに授業を受けているつもりの清にとっては迷惑この上ないが、せっかく描いたものをつき返すわけにもいかず、とりあえず目を通してみる。
そこに描かれていたデザインは、まるで正義のヒーローが乗るような派手でかっこよさを追求したものだった。いかにも伸治が好きそうなデザインだったので、清は思わず吹き出した。
そこで清は『おまえらしくていいな。レーサーよりも設計者になれよ』とコメントを書いて、後ろの席の伸治に渡した。
感想を読んだ伸治はうれしくなって、清の背中を突っついた。ふり向いた清に向かって親指を立てて決めポーズを作ると、改良デザイン案件その2に着手した。
授業そっちのけで製図にいそしむ伸治の頭に何かが当たった。
驚いた伸治は辺りをキョロキョロ見回した。
「どうした高橋?」
伸治がまじめにノートを取っているものだと勘違いしていた、国語の光井先生が声をかけた。
「あ、いえ。なんでもありません」
教室にクスクス笑いが起きる。
伸治は再び設計者の顔に戻った伸治に頭に、また何かが当たった。
そしてまた驚いた伸治は後を振り返った。
するとななめ後に座っている委員長の石川美由紀と目が合った。美由紀はにらむような目で伸治を見ている。不意に美由紀が何かを投げた。とっさに伸治は身をかわす。
見れば美由紀の手元には、細かく切りくだいた消しゴムが散らばっている。どうやらさっきから伸治の頭に当たっていたのは、美由紀の投げた消しゴムのかけらだったようだ。
なぜ美由紀がそんなことするのかわけも分からず、伸治はにらみ返した。
美由紀は教室の前の方をあごで指し示した。前をふり向くと、光井先生が黒板に向かって例題を書いている最中だった。美由紀に向き直ると、まだ黒板の方向をあごで指し示していた。どうやらちゃんと授業を受けろ、という意味らしい。
やれやれと思いながら、伸治は体だけは前を向くことにした。それでもバイクの案件その2を描くのはやめなかった。その後も消しゴム攻撃は続いたが、無視することにした。
どういうわけか、美由紀はことあるごとにちょっかいを出してくる、と伸治は思っていた。なぜだか分からないが、今のように行動を細かくチェックされていて、なにかあればすぐさま注意してくるし、何かにつけては話しかけてくるのだった。
ああいうのがいずれストーカーになるのだろうな、と伸治は身が震える思いだった。
伸治はまじめに勉強にはげむことなく、ノートに落書きをしていた。
落書きといっても伸治にとっては真剣で、新型のバイクのデザインの気に入らない所を伸治なりに改良を加えた案を必死に書き起こしていた。当然先生の話は聞こえるはずもない。
何度も描いては消しを繰り返し、完成した新型バイクの案を前の席に座っている田中清に渡した。
一方まじめに授業を受けているつもりの清にとっては迷惑この上ないが、せっかく描いたものをつき返すわけにもいかず、とりあえず目を通してみる。
そこに描かれていたデザインは、まるで正義のヒーローが乗るような派手でかっこよさを追求したものだった。いかにも伸治が好きそうなデザインだったので、清は思わず吹き出した。
そこで清は『おまえらしくていいな。レーサーよりも設計者になれよ』とコメントを書いて、後ろの席の伸治に渡した。
感想を読んだ伸治はうれしくなって、清の背中を突っついた。ふり向いた清に向かって親指を立てて決めポーズを作ると、改良デザイン案件その2に着手した。
授業そっちのけで製図にいそしむ伸治の頭に何かが当たった。
驚いた伸治は辺りをキョロキョロ見回した。
「どうした高橋?」
伸治がまじめにノートを取っているものだと勘違いしていた、国語の光井先生が声をかけた。
「あ、いえ。なんでもありません」
教室にクスクス笑いが起きる。
伸治は再び設計者の顔に戻った伸治に頭に、また何かが当たった。
そしてまた驚いた伸治は後を振り返った。
するとななめ後に座っている委員長の石川美由紀と目が合った。美由紀はにらむような目で伸治を見ている。不意に美由紀が何かを投げた。とっさに伸治は身をかわす。
見れば美由紀の手元には、細かく切りくだいた消しゴムが散らばっている。どうやらさっきから伸治の頭に当たっていたのは、美由紀の投げた消しゴムのかけらだったようだ。
なぜ美由紀がそんなことするのかわけも分からず、伸治はにらみ返した。
美由紀は教室の前の方をあごで指し示した。前をふり向くと、光井先生が黒板に向かって例題を書いている最中だった。美由紀に向き直ると、まだ黒板の方向をあごで指し示していた。どうやらちゃんと授業を受けろ、という意味らしい。
やれやれと思いながら、伸治は体だけは前を向くことにした。それでもバイクの案件その2を描くのはやめなかった。その後も消しゴム攻撃は続いたが、無視することにした。
どういうわけか、美由紀はことあるごとにちょっかいを出してくる、と伸治は思っていた。なぜだか分からないが、今のように行動を細かくチェックされていて、なにかあればすぐさま注意してくるし、何かにつけては話しかけてくるのだった。
ああいうのがいずれストーカーになるのだろうな、と伸治は身が震える思いだった。
銀杏坂(2)
「……それでさ、新型のカウルは俺に言わせりゃちょっとやぼったいんだよ。確かに空気抵抗はいいかもしれないけど、デザインがさ」
伸治は登校の途上で、クラスメイトの田中清に新型のバイクの談義に花を咲かせていた。
「伸治は熱心だなあ。俺には空気抵抗とかむずかしいことはわかんないけど、お前がかっこいいって言うんなら、そっちがいいんじゃないかな?」
清はだんだん熱くなる伸治のバイク談義に、ちょっと引きながらも相づちを打った。元来気の弱い清は、押しの強い伸治の性格には逆らわないことにしている。
「ただ、デザイン重視にするとエンジンを覆うのがむずかしいんだよこれが。この実用性と見た目のバランスこそが最大の問題で」
伸治は清のことなどお構いなしに、自分のバイクのデザインにかける情熱をぶつけていた。
「なんだか伸治はバイクに乗ることよりも、バイクのデザインの方が好きみたいだな。レーサーになるんじゃなかったのか?」
「あ? そうかなあ。まあレーサーはなりたいと思っても簡単になれるもんじゃないからな。ポケバイのレースに出場して分かったけど、俺にはレーサーの才能はないかもな。ともかく、来年俺は免許を取るぜ。待ち遠しくて毎日カレンダーに印をつけてるよ。だけど、おふくろが反対してるんだよな」
「なんで?」
「はっきり言葉にしないけどさ、分かるんだよ。俺がバイクに乗るのをやめて欲しいって思ってるな、っていうのが。俺がバイクの話をすると、いっつも暗い顔するんだよ」
バイクの話から、今度は母親へのグチに変わりだした。バイクもグチも口調は熱い。
が、とある坂の前に差し掛かったとたん、急に話をやめて立ち止まった。
「おい、どうした?」
さっきまで熱く語っていた伸治が急に黙り込んだので、清が聞き返した。数歩後で立ち止まっている伸治の前まで戻ると、伸治が見つめている先に目線を移した。
坂は緩やかに右にカーブを描きながら緩やかに上り坂になっている。道の両側には銀杏並木が植えてあり、通称銀杏坂と呼ばれている。
銀杏坂というなごやかな名前とは裏腹に、道の両側をがけに挟まれた日当たりの悪い坂道には、別名幽霊坂といういわくつきの名前もあった。その名のとおり、幽霊が出るとのもっぱらのうわさである。
「ここで俺のオヤジは事故って死んだんだ」
伸治はぼそりとつぶやいた。まるで自分に言い聞かすみたいな口調だった。
「ああ、そうだったっけ」
清はどう声をかけていいか分からずに、あいまいな返事をした。
それよりも清としては、あまりこの幽霊坂のそばにはいたくないのが正直な所だった。できれば足早に通り過ぎたいくらいで、わざわざ立ち止まってまで坂を観察したいとは思わなかった。それこそ変なものを見てしまったら大変なことだった。
さわやかな朝の日差しの中、銀杏坂だけ異様に薄暗く、そこだけ意図的に切り取って貼り付けた異世界のようだった。
伸治と清は、その銀杏坂にしばし魅入られたようにずっと目線を外せないでいた。ずいぶん長い時間のようだったし、ほんの一瞬のことのようでもあった。
ふとふたりは坂の途中に、不気味にうごめく黒い影を見たような気がした。
それが一体なんであるのか見定めようと、目を細める伸治の視界に、また別のものが現れた。
ふたりにとって見慣れた別なものは、同じクラスの女子、石川美由紀だった。
「なにこんな所でふたりして突っ立ってんの? ホラ、ぼさっとしてると遅刻するよ」
銀杏坂のてっぺんに建つ総合病院の院長の娘であり、クラス委員長でもあり、生徒会も務める美由紀は優等生を絵に描いたような生徒だった。その一方で、男子よりもサバサバした性格のとんだおてんば娘でもある。
幽霊坂の異名をとる、おどろおどろしい坂の上の病院の敷地内に住んでるとは思えないくらい、明るい美由紀は実にこの幽霊坂には似つかわしくない。
美由紀に尻をたたかれるようにうながされて、ようやく坂の呪縛から離れた伸治と清は、後ろ髪をひかれる思いを残しつつも学校へと向かった。
伸治は登校の途上で、クラスメイトの田中清に新型のバイクの談義に花を咲かせていた。
「伸治は熱心だなあ。俺には空気抵抗とかむずかしいことはわかんないけど、お前がかっこいいって言うんなら、そっちがいいんじゃないかな?」
清はだんだん熱くなる伸治のバイク談義に、ちょっと引きながらも相づちを打った。元来気の弱い清は、押しの強い伸治の性格には逆らわないことにしている。
「ただ、デザイン重視にするとエンジンを覆うのがむずかしいんだよこれが。この実用性と見た目のバランスこそが最大の問題で」
伸治は清のことなどお構いなしに、自分のバイクのデザインにかける情熱をぶつけていた。
「なんだか伸治はバイクに乗ることよりも、バイクのデザインの方が好きみたいだな。レーサーになるんじゃなかったのか?」
「あ? そうかなあ。まあレーサーはなりたいと思っても簡単になれるもんじゃないからな。ポケバイのレースに出場して分かったけど、俺にはレーサーの才能はないかもな。ともかく、来年俺は免許を取るぜ。待ち遠しくて毎日カレンダーに印をつけてるよ。だけど、おふくろが反対してるんだよな」
「なんで?」
「はっきり言葉にしないけどさ、分かるんだよ。俺がバイクに乗るのをやめて欲しいって思ってるな、っていうのが。俺がバイクの話をすると、いっつも暗い顔するんだよ」
バイクの話から、今度は母親へのグチに変わりだした。バイクもグチも口調は熱い。
が、とある坂の前に差し掛かったとたん、急に話をやめて立ち止まった。
「おい、どうした?」
さっきまで熱く語っていた伸治が急に黙り込んだので、清が聞き返した。数歩後で立ち止まっている伸治の前まで戻ると、伸治が見つめている先に目線を移した。
坂は緩やかに右にカーブを描きながら緩やかに上り坂になっている。道の両側には銀杏並木が植えてあり、通称銀杏坂と呼ばれている。
銀杏坂というなごやかな名前とは裏腹に、道の両側をがけに挟まれた日当たりの悪い坂道には、別名幽霊坂といういわくつきの名前もあった。その名のとおり、幽霊が出るとのもっぱらのうわさである。
「ここで俺のオヤジは事故って死んだんだ」
伸治はぼそりとつぶやいた。まるで自分に言い聞かすみたいな口調だった。
「ああ、そうだったっけ」
清はどう声をかけていいか分からずに、あいまいな返事をした。
それよりも清としては、あまりこの幽霊坂のそばにはいたくないのが正直な所だった。できれば足早に通り過ぎたいくらいで、わざわざ立ち止まってまで坂を観察したいとは思わなかった。それこそ変なものを見てしまったら大変なことだった。
さわやかな朝の日差しの中、銀杏坂だけ異様に薄暗く、そこだけ意図的に切り取って貼り付けた異世界のようだった。
伸治と清は、その銀杏坂にしばし魅入られたようにずっと目線を外せないでいた。ずいぶん長い時間のようだったし、ほんの一瞬のことのようでもあった。
ふとふたりは坂の途中に、不気味にうごめく黒い影を見たような気がした。
それが一体なんであるのか見定めようと、目を細める伸治の視界に、また別のものが現れた。
ふたりにとって見慣れた別なものは、同じクラスの女子、石川美由紀だった。
「なにこんな所でふたりして突っ立ってんの? ホラ、ぼさっとしてると遅刻するよ」
銀杏坂のてっぺんに建つ総合病院の院長の娘であり、クラス委員長でもあり、生徒会も務める美由紀は優等生を絵に描いたような生徒だった。その一方で、男子よりもサバサバした性格のとんだおてんば娘でもある。
幽霊坂の異名をとる、おどろおどろしい坂の上の病院の敷地内に住んでるとは思えないくらい、明るい美由紀は実にこの幽霊坂には似つかわしくない。
美由紀に尻をたたかれるようにうながされて、ようやく坂の呪縛から離れた伸治と清は、後ろ髪をひかれる思いを残しつつも学校へと向かった。
銀杏坂(1)
朝。どこの家庭も同じく迎える朝食の時間。高橋伸治の家庭は母とふたりきりで迎える朝食の時間だった。
父親は伸治が小学生一年生の時に亡くなっていて、今では2DKマンションのささやかな仏壇で振りまいているさわやかな笑顔の遺影でしか、その顔を見ることはできない。
だからといって伸治の父が、伸治や、その母親の記憶から消えることなど今まで一度もなかったし、家中のあちこちに飾られた亡き父の遺したトロフィーや賞状など数々の遺品たちがほこらしげに家族たちをいつでも見守っていた。
伸治には朝起きて一番に行う、つい最近出来た日課があった。
それはカレンダーに印をつけること。昨日の日付にバッテン印をつけて、来るべき日に備えてカウントダウンしていた。今日も極太の油性マジックで、昨日の日付にバツ印をつけてひとりうなずく。
伸治は朝食のテーブルに着くと、自分の部屋から持ってきた雑誌を広げた。オートバイの雑誌だ。
中学三年生の伸治は、まだオートバイは乗れないが、小学生の頃から乗っているポケットバイクを持っていた。オートバイのレーサーだった父親の影響で、バイクに興味を持ち、幼少の頃からバイクに慣れ親しんできていた。
生前数々のレースで優勝してきた父親は、伸治にとってヒーローで憧れの存在だった。そんな憧れの父に少しでも近づきたくて、来年自動二輪免許が取れる日が来るのが待ち遠しくてしかたなかった。
というわけで、今からどんなバイクに乗るのか雑誌でチェックしているのである。でも高橋家は裕福な家庭ではないので、伸治は自分でアルバイトをして稼いだお金で買うつもりでいた。母親に負担はかけたくなかった体。もちろん免許も自分で稼いだお金で取得するつもりでいる。
ちなみにバイクは、まずは中古の原付を買う予定だったが、スクーターではなく、見栄えがするスポーツタイプと強く決めていた。
「伸治、ご飯食べる時は読むのをやめなさい」
伸治の母親、高橋翔子がキッチンから声を上げた。そういう翔子だって、キッチンに立ったまま食事をしながら、出勤の身支度をしている。主婦と一家の大黒柱を両立させるためには、こうでもしないと朝の忙しい時間を乗り切れないようだ。
伸治は母親の方を見もせず生返事をした。構わず雑誌を読み続ける。新型のバイクの記事に釘付けだった。
「伸治」
母親の声が少しきつくなった。ちょっとイラついてる声に変わった。
「あ、いっけね、もうこんな時間だ。いってきまーす」
伸治は時計を見るなり大声を上げた。急いでカバンをつかむと母親を無視するように家を飛び出した。
「ちょっと伸治。今日はお父さんの命日だから、早く帰ってくるのよ。お母さんも仕事早めにあがるから」
勢いよく飛び出していった息子の背中に向かって、翔子は叫ぶように言った。伸治は聞こえているのかいないのか、返事はなかった。翔子はあきれるようにため息をついた。
テーブルの上に置きっぱなしになっているオートバイの雑誌を手に取ると、翔子の表情は暗くなった。そして仏壇で微笑む亡き夫に祈るように手を合わせた。
父親は伸治が小学生一年生の時に亡くなっていて、今では2DKマンションのささやかな仏壇で振りまいているさわやかな笑顔の遺影でしか、その顔を見ることはできない。
だからといって伸治の父が、伸治や、その母親の記憶から消えることなど今まで一度もなかったし、家中のあちこちに飾られた亡き父の遺したトロフィーや賞状など数々の遺品たちがほこらしげに家族たちをいつでも見守っていた。
伸治には朝起きて一番に行う、つい最近出来た日課があった。
それはカレンダーに印をつけること。昨日の日付にバッテン印をつけて、来るべき日に備えてカウントダウンしていた。今日も極太の油性マジックで、昨日の日付にバツ印をつけてひとりうなずく。
伸治は朝食のテーブルに着くと、自分の部屋から持ってきた雑誌を広げた。オートバイの雑誌だ。
中学三年生の伸治は、まだオートバイは乗れないが、小学生の頃から乗っているポケットバイクを持っていた。オートバイのレーサーだった父親の影響で、バイクに興味を持ち、幼少の頃からバイクに慣れ親しんできていた。
生前数々のレースで優勝してきた父親は、伸治にとってヒーローで憧れの存在だった。そんな憧れの父に少しでも近づきたくて、来年自動二輪免許が取れる日が来るのが待ち遠しくてしかたなかった。
というわけで、今からどんなバイクに乗るのか雑誌でチェックしているのである。でも高橋家は裕福な家庭ではないので、伸治は自分でアルバイトをして稼いだお金で買うつもりでいた。母親に負担はかけたくなかった体。もちろん免許も自分で稼いだお金で取得するつもりでいる。
ちなみにバイクは、まずは中古の原付を買う予定だったが、スクーターではなく、見栄えがするスポーツタイプと強く決めていた。
「伸治、ご飯食べる時は読むのをやめなさい」
伸治の母親、高橋翔子がキッチンから声を上げた。そういう翔子だって、キッチンに立ったまま食事をしながら、出勤の身支度をしている。主婦と一家の大黒柱を両立させるためには、こうでもしないと朝の忙しい時間を乗り切れないようだ。
伸治は母親の方を見もせず生返事をした。構わず雑誌を読み続ける。新型のバイクの記事に釘付けだった。
「伸治」
母親の声が少しきつくなった。ちょっとイラついてる声に変わった。
「あ、いっけね、もうこんな時間だ。いってきまーす」
伸治は時計を見るなり大声を上げた。急いでカバンをつかむと母親を無視するように家を飛び出した。
「ちょっと伸治。今日はお父さんの命日だから、早く帰ってくるのよ。お母さんも仕事早めにあがるから」
勢いよく飛び出していった息子の背中に向かって、翔子は叫ぶように言った。伸治は聞こえているのかいないのか、返事はなかった。翔子はあきれるようにため息をついた。
テーブルの上に置きっぱなしになっているオートバイの雑誌を手に取ると、翔子の表情は暗くなった。そして仏壇で微笑む亡き夫に祈るように手を合わせた。
はじめまして!
はじめまして、真風玉葉(マカゼタマハ)と申します。
趣味でオリジナル小説を書いております。
真風玉葉というのはペンネームです。ブログタイトルにも使いましたが、漢字のままだと読める人が少ないと思うので、カタカナにしてみました。
このブログではわたくしのオリジナル小説を掲載していきます。
SFやファンタジーの世界観で、ちょっとダークでちょっとヘヴィなお話しを書いています。
これらを読んだ感想などいただければうれしいです。
ちなみにここの管理人は、ここ以外にブログを持っていたり、ミクシィをやってるので日記等はそちらに書いていきます。
ので、ここのブログはあくまで小説やあとがきくらいしか掲載しません。
新作が出来ないと更新されない、のんびりまったりブログですが、どうぞよろしくお願いします。
趣味でオリジナル小説を書いております。
真風玉葉というのはペンネームです。ブログタイトルにも使いましたが、漢字のままだと読める人が少ないと思うので、カタカナにしてみました。
このブログではわたくしのオリジナル小説を掲載していきます。
SFやファンタジーの世界観で、ちょっとダークでちょっとヘヴィなお話しを書いています。
これらを読んだ感想などいただければうれしいです。
ちなみにここの管理人は、ここ以外にブログを持っていたり、ミクシィをやってるので日記等はそちらに書いていきます。
ので、ここのブログはあくまで小説やあとがきくらいしか掲載しません。
新作が出来ないと更新されない、のんびりまったりブログですが、どうぞよろしくお願いします。
| HOME |



